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田口下田尻(たぐちしもたじり)遺跡【上武道路建設事業関連】

平成28年7月
緑釉陶器素地(りょくゆうとうきそじ)の皿
田口下田尻遺跡は、前橋市田口町に所在します。周辺遺跡の調査成果とあわせてみると、古墳時代前期の水田開発にともない集落が形成され、中期に一次途絶えます。その後、飛鳥時代から再び集落が形成され、平安時代には大規模な集落となっています。特に平安時代に関しては出土遺物も多く、馬具や鉄器などが確認され、富豪層の存在や流通拠点としての性格が窺えます。
富豪層の存在を裏付ける資料として、多量の緑釉陶器(りょくゆうとうき)の出土も上げることができます。緑釉陶器は、まず、成整形、乾燥後に須恵器と同様に窯で還元焔(かんげんえん)にて焼成します。その後に、基礎釉(ゆう)の鉛に銅(酸化銅)を呈色剤(ていしょくざい)とした釉薬(ゆうやく)を施釉して再び窯で焼成しています。一度目の焼成では、素地に降灰などが付着しないように匣鉢(さやはち)に入れて焼成しています。また、器面は平滑さを出すため、成整形段階で全体をヘラ磨きすることが多いです。
これまでの周辺遺跡の調査では、113点の緑釉陶器が出土しています。この出土量は、上野国府推定地周辺や上野国分寺跡を除くと、集落としては吉岡町清里・陣馬遺跡、高崎市三ツ寺大下Ⅳ遺跡に続く多さです。また、今回の田口下田尻遺跡の整理作業でも、19点という多くの緑釉陶器が出土しました。
こうした中で12区16号竪穴住居からは、緑釉を施釉する前の緑釉陶器素地(そじ)の皿が確認されました。出土した陶器は小破片ですが、胎土や整形から同一個体とみられます。関東地方での緑釉陶器素地の出土は、相模国府周辺では知られていますが、群馬県内からは初出とみられます。
今回確認されたものは、全体をヘラ磨きしている点や底部の高台(こうだい)の形状から、緑釉陶器素地と判断することができました。そして、高台が削りだされて製作されていることから、平安京周辺の窯跡で焼成されたものと考えられます。また、高台の形状から、10世紀前後に生産されたものと判断できます。
緑釉陶器素地の皿が田口下田尻遺跡に持ち込まれた要因としては、次のことが考えられます。都への税物運搬を請け負った富豪層が、その帰りに平安京の市で当時の高級品である緑釉陶器を仕入れたときに、素地の段階のものが紛れ込んだか、あるいはあえて購入した可能性です。
写真1 緑釉陶器素地の皿 外面
写真2 内面