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高崎競馬場(たかさきけいばじょう)遺跡【コンベンション施設整備事業】

平成28年12月
文様(もんよう)の彫りこまれた石製品
平成28年6月に高崎競馬場遺跡をこのホームページに載せました。学史に刻まれた弥生時代中期の遺跡が環濠集落(かんごうしゅうらく)だったことを紹介しました。あれから整理作業が進み、弥生時代中期の環濠(かんごう)の内側にある土坑(どこう)内から、不思議なものが顔を出しました。丸く磨いた石が出てきました。これも群馬県内では初めての発見でした。
形状は横から見るとそろばん玉のようになっていて、下の部分が平らに削られていました。平らな部分を下に置くと、しっかりと立っている状態になるわけです。もちろん自然の力で丸く研磨され、平らになるわけはないので、環濠内に住んでいた弥生人が道具を使って磨き、削ったわけです。平担面を下に据えて計測すると、高さ3.8㎝、幅(中位幅)4㎝、平坦面の径は2.1㎝でした。石材は粗粒輝石安山岩(そりゅうきせきあんざんがん)という火成岩の一種です。しかし硬い石をどうやって削ったのでしょうか。
さらに驚いたことに、石には土器を飾る文様(もんよう)が彫りこまれていました。上方全体には、溝を掘ったような横線文が2条と、孔が一列に並んだ列点文(れってんもん)が3重に刻まれています。よく観察すると、孔は右側から彫り込まれた跡が見えます。孔の先端部には、細くて薄い工具の跡が見えます。工具を手で持って押しただけでは、このような孔は彫れません。まず、石自体をしっかり固定し、現代の石工さんが使う「鑿」(のみ)のような鉄製工具を手に持ち、「槌」(つち)でたたいて彫り込んだような跡です。また下方には、下に垂れた線が二段になっている連弧文(れんこもん)が彫られています。
このような文様は本来土器につけられるものです。さらに全体形状、文様ともに弥生時代中期の土器のようです。真横から見ると、そろばん玉ではなく、口が付けば、まさに弥生土器の壺形土器(つぼがたどき)です。土器は粘土をこね、焼く前に外面を木の棒やヘラのようなもので施文(せもん)します。しかし、硬い石になぜこのようなものを彫ったのか本当に不思議です。弥生時代中期に、環濠集落の中でいったいどんな人が何のために手間、暇をかけこのようなものを作ったのか、とても興味を惹かれるものです。学史にその名を刻んだ高崎競馬場遺跡は、2000年の時を超え、また新たなる未知の遺物を届けてくれました。私たちは、ふたたび解かねばならない謎と感動を目の前に突き付けられました。
写真1 文様(もんよう)の彫りこまれた石製品
写真2 上から
写真1 横から
写真2 右側から打ち込まれ彫られた孔