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中栗須邸前(なかくりすやしきまえ)遺跡【藤岡本庄線建設事業関連】
令和元年9月
平安時代の握り鋏(にぎりばさみ)
平成27年度に実施した中栗須邸前遺跡の発掘調査で、2区8号竪穴建物の竈(かまど)の近くから長さ約15cmほどの鉄製の握り鋏が出土しました。握り鋏は、細長い鉄板をU字状に曲げて先に刃をつけたもので、現在の和鋏の原型ともいえるものです。時期は、出土した竪穴建物の時期から、8世紀末から9世紀のものと考えられます。
握り鋏が一般に普及したのは、庶民も和服を着るようになった江戸時代ころと考えられますが、中世に盛んになった花を生ける風習も関係した可能性があります。
群馬県内では鉄製の鋏は16点ほど出土していますが、古代のものは少なく中近世以降の物ばかりです。また、破片で出土したものが多いため、握り鋏と確認できたのは数点のみです。中栗須邸前遺跡出土の握り鉸鋏は、全体の形状が分かるものとして、県内でも大変貴重なものといえます。
平成27年度に実施した中栗須邸前遺跡の発掘調査で、2区8号竪穴建物の竈(かまど)の近くから長さ約15cmほどの鉄製の握り鋏が出土しました。握り鋏は、細長い鉄板をU字状に曲げて先に刃をつけたもので、現在の和鋏の原型ともいえるものです。時期は、出土した竪穴建物の時期から、8世紀末から9世紀のものと考えられます。
握り鋏が一般に普及したのは、庶民も和服を着るようになった江戸時代ころと考えられますが、中世に盛んになった花を生ける風習も関係した可能性があります。
群馬県内では鉄製の鋏は16点ほど出土していますが、古代のものは少なく中近世以降の物ばかりです。また、破片で出土したものが多いため、握り鋏と確認できたのは数点のみです。中栗須邸前遺跡出土の握り鉸鋏は、全体の形状が分かるものとして、県内でも大変貴重なものといえます。