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林中原Ⅱ(はやしなかはらに)遺跡 【八ッ場ダム関連】

平成29年2月
縄文時代の豆を見つけた!
林中原Ⅱ遺跡は、吾妻郡長野原町林にある縄文時代中期~後期の集落遺跡です。以前、このホームページでも土坑から出土した焼骨を取り上げました。今回紹介するのは、61区9号住居から見つかった縄文土器です(写真1、2)。加曽利(かそり)EⅢ式土器と呼ばれる、中期後半(約4,500年前)の浅鉢(あさばち)です(写真3、4)。
裏返してみると、口に近い部分の割れたところに、穴があるのを見つけました(写真5)。
何の穴でしょう?
この穴に、歯医者さんが歯の型取りに使うシリコン樹脂を入れてみました(写真6)。固まったシリコン樹脂を取り出すと、穴に入っていたものの「もとの形」がわかります(写真7)。この穴には豆が入っていたことがわかりました。土器を作るための粘土に豆が混ざっていて、豆そのものは土器を焼くときに灰になってなくなり、豆の形の穴、圧痕(あっこん)だけが残されたのです。
シリコンに写し取られた豆の圧痕は、長さがほぼ1cm、厚みが5mmほどあります。電子顕微鏡写真を撮影して、細かい観察をしないとはっきりしないのですが、どうもダイズの仲間のように見えます。現代のダイズよりは小さいのですが、ダイズの祖先にあたる野生のツルマメよりは、ずっと大きな、立派な豆です(写真8)。
縄文時代の豆は、ダイズ、アズキともに、長野県や山梨県をはじめ、各地で見つかっています。林中原Ⅱ遺跡と同じように、土器のかけらに残された圧痕を調べて、豆だということがわかったという例がとても多いのです。
群馬県でも、榛東(しんとう)村の茅野(かやの)遺跡で縄文時代晩期と思われる土器のかけらに、アズキやダイズの圧痕があったことが報告されています。縄文土器を作るときに入った豆ですから、縄文時代の豆であることに間違いはありません。こうした縄文時代の豆の中には、野生の小さな豆だけではなくて、林中原Ⅱ遺跡のように、縄文人が手をかけて育てたのであろう大粒の豆もあります。
縄文時代の植物食というと、クルミやクリ、トチノキなどの木の実が思い浮かびますが、八ッ場ダム地域の遺跡出土土器からは、豆の仲間やエゴマではないかと思われる種子の圧痕も見つかっています。縄文人はとても上手に、いろいろな植物を利用していたようです。稲作が伝わる弥生時代よりずっと前から、植物を育てること、利用することは縄文人の得意技だったのかもしれません。
小さな土器のかけらに残された小さな穴から、縄文人の知恵と技術が見えてきました。
写真1 9号住居遺物出土状況
写真2 9号住居全景
写真3 9号住居出土土器 表面
写真4 同 裏面
写真5 謎の「穴」
写真6 穴にシリコンを注入
写真7 シリコンに写し取られた豆の圧痕
写真8 豆の大きさ比べ  1:圧痕のシリコン型 /2:水につけた現代のダイズ /3:乾燥した現代のダイズ/4:乾燥した野生のツルマメ