事業団の発掘と整理
調査研究員のイチ推し
06 上野(こうづけ)武士の白磁碗(はくじわん)
鎌倉時代(13世紀後半) 矢場三ツ橋Ⅱ(やばみつはしに)遺跡(藤岡市矢場)
矢口裕之
藤岡市庚申山の南に所在する遺跡の溝から、中国大陸南部で焼かれた白磁の碗が出土しました。この碗は口縁の釉薬(ゆうやく)が剥がれた「口禿げの白磁」と呼ばれるもので、器を量産するために口縁に輪状の窯道具をつけて重ね焼きしています。
中国の港を出発した貿易船は、博多、兵庫、鎌倉などに渡来し、大陸の品々を日本列島に運びました。この碗は鎌倉に出仕した坂東武者の一人が市で買い求め、上野へのみやげにしたものでしょうか。鎌倉時代にはお茶の文化が僧や貴族に広まりつつあり、茶道具として珍重された宝物の一部であったのかもしれません。
中国の港を出発した貿易船は、博多、兵庫、鎌倉などに渡来し、大陸の品々を日本列島に運びました。この碗は鎌倉に出仕した坂東武者の一人が市で買い求め、上野へのみやげにしたものでしょうか。鎌倉時代にはお茶の文化が僧や貴族に広まりつつあり、茶道具として珍重された宝物の一部であったのかもしれません。