事業団の発掘と整理
調査研究員のイチ推し

13 縄文土器の交流: 尾瀬を超えてきた興津(おきつ)式土器

縄文時代前期後葉 糸井宮前遺跡(昭和村糸井)

谷藤保彦
 私のイチ推しは、糸井宮前遺跡の興津式土器です。
 縄文時代前期後葉(今から6,000~5,500年前)になると、関東地方では、諸磯(もろいそ)式土器が主体となる中、東関東から福島県の太平洋岸地域では、貝殻を工具とした文様を持つ浮島(うきしま)式土器が成立し、興津式土器へと変遷します。その興津式土器は、さらに内陸部の福島県会津地域まで及んでいきます。その中で会津の興津式土器は本来の貝殻を工具として利用するかわりに櫛状の工具で、遠目に似た文様を描きだしたのです。まるで、「会津興津」とでも呼べるような逸品です。
 その会津特有の文様を描いた興津式土器が、昭和村の片品川流域にある糸井宮前遺跡から出土したこの土器です。一方、同じ北毛地域にある利根川流域の遺跡では、貝殻で文様を描いた興津式土器が出土しています。
 こうした土器の特徴や地理的な面から、会津特有の文様を描いた糸井宮前遺跡出土の興津式土器は、尾瀬を越えてやってきたことがわかりますし、貝殻で文様を描いた興津式土器は利根川の流れをさかのぼってやってきたことがわかります。
 「縄文人の行動力を示した土器」、私のイチ推しする土器の一つです。

【群馬県埋蔵文化財調査センター発掘情報館 収蔵展示室】