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福島下町・屋敷下(ふくしましもまち・やしきした)遺跡
令和3年9月 調査
甘楽郡甘楽町大字福島地内
令和3年9月1日~令和3年10月31日
弥生、近世
福島下町・屋敷下遺跡遺跡は、遺跡の北約700mの所を東西に流れる鏑川右岸の下位段丘に立地しています。遺跡南側には比高数mの段丘崖があり、国道254号線は並走しています。調査区は、この国道254号線の北側拡幅部分となります。昨年5月~6月に国道254「城下町小幡」の交差点を境に南側(1区・2区)と北側(3区・4区)を調査しましたが、今回は交差点の西側(5区)と東側(6区)の調査を行います。調査区の幅は、約1.5mから4mで、東西に細長い調査区となり、9月は5区の調査を主体に行いました。写真1は調査区を東から撮影したものです。
5区では、弥生時代の竪穴建物1棟と弥生時代及び中近世以降の土坑やピットなどを検出しました。竪穴建物は、北側調査区外に延び、南側約1/4が調査でき(写真2)、柱穴が2ヵ所と出入り口施設に係わると思われるピットが検出されました。江戸時代以降では、天明3年(1783年)の浅間山の噴火に伴う軽石(As-A)を集めて破棄した「灰かき坑」が検出されました(写真3)。畑や水田の復旧坑とは異なり、町家での灰かき坑として貴重な調査事例となりました。他に、石をくり抜いて作られた導水管の一部が出土しました。この石製導水管ですが、長さ約1mの石樋を連結させており、樋の上には石の蓋が敷設され、調査区外に続いていました(写真4)。
5区では、弥生時代の竪穴建物1棟と弥生時代及び中近世以降の土坑やピットなどを検出しました。竪穴建物は、北側調査区外に延び、南側約1/4が調査でき(写真2)、柱穴が2ヵ所と出入り口施設に係わると思われるピットが検出されました。江戸時代以降では、天明3年(1783年)の浅間山の噴火に伴う軽石(As-A)を集めて破棄した「灰かき坑」が検出されました(写真3)。畑や水田の復旧坑とは異なり、町家での灰かき坑として貴重な調査事例となりました。他に、石をくり抜いて作られた導水管の一部が出土しました。この石製導水管ですが、長さ約1mの石樋を連結させており、樋の上には石の蓋が敷設され、調査区外に続いていました(写真4)。
福島字下町・屋敷下遺跡発掘調査事務所 090-3244-0006