事業団の発掘と整理
発掘調査の最新情報
綿貫(わたぬきよんじゅういち)41遺跡、岩鼻(いわはなよんじゅうなな-さん)47-3 遺跡
令和3年6月 調査
高崎市綿貫町地内・岩鼻町地内
令和3年6月1日~令和3年7月31日
古墳~中近世
今年度は、群馬県立歴史博物館のある群馬の森旧駐車場入口や新入口のある県道長瀞線東側拡幅部分の調査を行っています。調査地は、北に綿貫41遺跡、南に岩鼻47-3遺跡が入り組んでいます。発掘調査に際して、綿貫41遺跡3区、岩鼻47-3遺跡5区、6区と調査区名を付けて調査を行っています。
綿貫41遺跡3区では、現在までに竪穴建物7棟と土坑2基を調査しています。さらに数棟の竪穴建物の重なりが確認されています(写真1)。竪穴建物の時期は、出土した土器から古墳時代後期や奈良時代初めと考えられます。岩鼻47-3遺跡5区の南部は、近現代工事による攪乱によって遺構は確認できませんでした。
岩鼻47-3遺跡4区では、南側の微高地から北側に向かって落ち込んでいく谷地状の地形が確認されました(写真2)。微高地から谷に変わる地点で、中世以降と考えられる溝が8条、土坑が1基検出されました。出土遺物はほとんどなく、性格は不明です。
岩鼻47-3遺跡6区は調査が終了しました。調査の結果、古墳時代から中近世の遺構が発見されました(写真3)。発見された遺構は、溝6条、土坑10基、ピット10基、遺物集中でした。溝のうち2本は古墳の周溝の一部の可能性があり、円筒埴輪の多数の破片や馬等の形象埴輪の破片も出土しました。また、南側の18号溝で土師器の甕が出土しました(写真4)。
綿貫41遺跡3区では、現在までに竪穴建物7棟と土坑2基を調査しています。さらに数棟の竪穴建物の重なりが確認されています(写真1)。竪穴建物の時期は、出土した土器から古墳時代後期や奈良時代初めと考えられます。岩鼻47-3遺跡5区の南部は、近現代工事による攪乱によって遺構は確認できませんでした。
岩鼻47-3遺跡4区では、南側の微高地から北側に向かって落ち込んでいく谷地状の地形が確認されました(写真2)。微高地から谷に変わる地点で、中世以降と考えられる溝が8条、土坑が1基検出されました。出土遺物はほとんどなく、性格は不明です。
岩鼻47-3遺跡6区は調査が終了しました。調査の結果、古墳時代から中近世の遺構が発見されました(写真3)。発見された遺構は、溝6条、土坑10基、ピット10基、遺物集中でした。溝のうち2本は古墳の周溝の一部の可能性があり、円筒埴輪の多数の破片や馬等の形象埴輪の破片も出土しました。また、南側の18号溝で土師器の甕が出土しました(写真4)。
綿貫41遺跡・岩鼻47-3遺跡発掘調査事務所 070-2655-7726