事業団の発掘と整理
発掘調査の最新情報
西上之宮(にしかみのみや)遺跡・樋越薬師(ひごしやくし)遺跡
令和3年1月 調査
伊勢崎市西上之宮町、玉村町樋越地内
令和2年11月1日~令和3年3月31日
古墳、奈良、平安、近世
西上之宮遺跡では、中世の五輪塔(ごりんとう)・宝篋印塔(ほうきょういんとう)・板碑(いたび)がまとまって確認されました(写真1)。人骨や宋銭・永楽銭が出土しており、墓地と考えられます。板碑には阿弥陀三尊を示す梵字(ぼんじ)等が刻まれています(写真2)。このほかに調査区西側からは、中近世の開墾で大きく削平された古墳が検出されました(写真3)。
樋越薬師遺跡については、天明3年(1783)の浅間山噴火後に発生した泥流(天明泥流)と降下軽石As-Aの下から出土した畑等に関して、調査区東側の調査を進めました(写真4)。この畑の下からは、近世の洪水で埋没した畑が複数面に渡って検出されています(写真5)。調査区西側では、天仁元年(1108)の浅間山噴火による降下軽石(As-B)を含む土層の下から、古代の溝や耕作痕が確認できました(写真6)。
樋越薬師遺跡については、天明3年(1783)の浅間山噴火後に発生した泥流(天明泥流)と降下軽石As-Aの下から出土した畑等に関して、調査区東側の調査を進めました(写真4)。この畑の下からは、近世の洪水で埋没した畑が複数面に渡って検出されています(写真5)。調査区西側では、天仁元年(1108)の浅間山噴火による降下軽石(As-B)を含む土層の下から、古代の溝や耕作痕が確認できました(写真6)。
西上之宮・玉村No.727遺跡発掘調査事務所 090-2652-8848