事業団の発掘と整理
発掘調査の最新情報
多田山東(ただやまひがし)遺跡
令和元年11月 調査
伊勢崎市赤堀今井町内
令和元年11月1日~令和2年3月31日
令和元年度一般国道50号(前橋笠懸道路)建設事業に伴う埋蔵文化財の発掘調査
高崎河川国道事務所
古墳・古代・中世
本遺跡は、多田山丘陵先端部の東側に位置し、標高159m程の南北にのびる舌状の低台地上に広がります。遺跡地を国道50号のバイパスが通過することとなり、平成29年度から発掘調査を開始し、古墳時代の集落が調査されています。遺跡周辺は、水田や畑が広がります。
調査は、南側より実施し、竪穴建物や土坑、ピット、溝、方形周溝墓等を調査しました。1号方形周溝墓(写真1)は、埋葬部分の周囲に方形の溝をめぐらせた墓です。一辺が約18mを計り、周囲の溝の幅は1~2m、深さは1mを超える箇所もありました。溝の北隅は土橋状に掘り残されているのが確認できました。 埋葬部分は後世の削平により確認できませんでしたが、溝の中からは、壺が数点出土しました。写真2・3は底部穿孔壺型土器(ていぶせんこうつぼがたどき)です。この壺は、底の部分を焼く前に穴を開けています。また、土器の表面は滑沢に磨き赤い彩色をしていた可能性があります。底部の穴を開けることは、日常の壺としての機能を失わせた土器で、日常の土器とは明確に区別しいます。底部穿孔壺型土器は、葬送儀礼のために作られたことをあらわします。写真3の壺の口縁部は二重に折り返されていました。これらの土器の形状から、この方形周溝墓は4世紀代に造られたものと推定できます。
また、12月も竪穴建物などの集落の調査を継続します。
調査は、南側より実施し、竪穴建物や土坑、ピット、溝、方形周溝墓等を調査しました。1号方形周溝墓(写真1)は、埋葬部分の周囲に方形の溝をめぐらせた墓です。一辺が約18mを計り、周囲の溝の幅は1~2m、深さは1mを超える箇所もありました。溝の北隅は土橋状に掘り残されているのが確認できました。 埋葬部分は後世の削平により確認できませんでしたが、溝の中からは、壺が数点出土しました。写真2・3は底部穿孔壺型土器(ていぶせんこうつぼがたどき)です。この壺は、底の部分を焼く前に穴を開けています。また、土器の表面は滑沢に磨き赤い彩色をしていた可能性があります。底部の穴を開けることは、日常の壺としての機能を失わせた土器で、日常の土器とは明確に区別しいます。底部穿孔壺型土器は、葬送儀礼のために作られたことをあらわします。写真3の壺の口縁部は二重に折り返されていました。これらの土器の形状から、この方形周溝墓は4世紀代に造られたものと推定できます。
また、12月も竪穴建物などの集落の調査を継続します。
多田山東遺跡調査事務所 090-2414-2561