事業団の発掘と整理
発掘調査の最新情報
松谷松下2(まつやまつしもに)遺跡
令和元年10月 調査
吾妻郡東吾妻町松谷松下字久々戸地内
令和元年10月1日~令和元年11月30日
上信自動車道吾妻西バイパス建設工事に伴う埋蔵文化財の発掘調査
群馬県上信自動車道建設事務所
縄文・弥生・近世
松谷松下2遺跡は吾妻川の右岸側の河岸段丘上にあり、北側には吾嬬山の山麓部が広がります。南側は吾妻川が東西方向に流れており、調査区東側は深い谷を形成した沢に接しています。
調査は、工程の進捗を図るため、調査区を南北の2つに分けて、南側より調査を開始しました。
調査第1面では、江戸時代の天明泥流堆積物を除去すると、As-A軽石(1783(天明3年)に浅間山の火山活動により噴出した軽石)下の畑が東西方向に伸びる形で検出されました。また、調査区中央付近は、谷の地形に沿って弧を描く畝の畑が検出されました。この畑周辺では、As-A軽石降下後に耕作土に漉き込んだ様子も確認できました。調査区西側からは、天明泥流堆積物に覆われ埋ってしまった耕作土を得るための、復旧坑が東西方向に11条、南北方向に2条確認されました。どちらも北側調査区へ続くことが予想されます。
調査第2面では、堀2条、土坑5基、ピット1基、焼土遺構2基が確認されました。この内の2条の堀は、深さ1.5m程で南北方向に並走し、断面は薬研の形に掘られていいました。時期は今後に託されます。堀の覆土中からは、五輪塔の火輪が出土しました。調査区の北東側には同じく2条の堀が検出されています。この2条の堀も規模と形状から、南北に走行する堀と同一のものであると考えられます。今後は、北側調査区の調査を進める予定です。
調査は、工程の進捗を図るため、調査区を南北の2つに分けて、南側より調査を開始しました。
調査第1面では、江戸時代の天明泥流堆積物を除去すると、As-A軽石(1783(天明3年)に浅間山の火山活動により噴出した軽石)下の畑が東西方向に伸びる形で検出されました。また、調査区中央付近は、谷の地形に沿って弧を描く畝の畑が検出されました。この畑周辺では、As-A軽石降下後に耕作土に漉き込んだ様子も確認できました。調査区西側からは、天明泥流堆積物に覆われ埋ってしまった耕作土を得るための、復旧坑が東西方向に11条、南北方向に2条確認されました。どちらも北側調査区へ続くことが予想されます。
調査第2面では、堀2条、土坑5基、ピット1基、焼土遺構2基が確認されました。この内の2条の堀は、深さ1.5m程で南北方向に並走し、断面は薬研の形に掘られていいました。時期は今後に託されます。堀の覆土中からは、五輪塔の火輪が出土しました。調査区の北東側には同じく2条の堀が検出されています。この2条の堀も規模と形状から、南北に走行する堀と同一のものであると考えられます。今後は、北側調査区の調査を進める予定です。
松谷松下2遺跡調査事務所 090-2652-8848