事業団の発掘と整理
発掘調査の最新情報
万木沢B(まんぎさわびー)遺跡
平成29年11月 調査
吾妻郡東吾妻町大字三島地内
平成29年4月1日~平成29年11月30日
平成29年度上信自動車道吾妻西バイパス建設工事に伴う埋蔵文化財の発掘調査
群馬県上信自動車道建設事務所
縄文・弥生・古墳・古代
11月は、主に2区西半部と3区で調査を行いました。
2区西半部と3区では、As-Kk(浅間粕川テフラ・12世紀前半降下)に埋没した平安時代の畑跡の下層へと調査を進め、竪穴住居を10軒ほど検出しました。竪穴住居には古墳時代後期から奈良時代にかけてのものと平安時代のものとの新旧二つのグループがあり、前者の竪穴住居は比較的大型で北側か西側にカマドを作っていました(写真1)。また、北側と西側の両方にカマドを持つ竪穴住居も見つかりました(写真2)。一方、後者の竪穴住居は覆土にAs-Kkが堆積し(写真3)、カマドは南側に作られていました(写真4)。
4月から行ってきた万木沢B遺跡の調査は11月で終了し、次のような発見がありました。 縄文時代晩期から弥生時代前期の遺跡が検出されました。この時期の土器が出土したほか、石鏃と黒曜石、土偶や石棒・石剣、ヒスイ製・碧玉製の装身具、打製・磨製石斧、磨石、骨片などの遺物も出土し、縄文から弥生へ継続して遺跡が営まれていました。
古墳時代から古代の遺跡では、12世紀前半の平安時代にこの一帯に畑が存在し、畑になる前には集落があったことが判明しました。集落から畑地への転換、そして12世紀前半の火山災害(As-Kk降下)による畑地の放棄という土地利用の変遷の様子がわかりました。
2区西半部と3区では、As-Kk(浅間粕川テフラ・12世紀前半降下)に埋没した平安時代の畑跡の下層へと調査を進め、竪穴住居を10軒ほど検出しました。竪穴住居には古墳時代後期から奈良時代にかけてのものと平安時代のものとの新旧二つのグループがあり、前者の竪穴住居は比較的大型で北側か西側にカマドを作っていました(写真1)。また、北側と西側の両方にカマドを持つ竪穴住居も見つかりました(写真2)。一方、後者の竪穴住居は覆土にAs-Kkが堆積し(写真3)、カマドは南側に作られていました(写真4)。
4月から行ってきた万木沢B遺跡の調査は11月で終了し、次のような発見がありました。 縄文時代晩期から弥生時代前期の遺跡が検出されました。この時期の土器が出土したほか、石鏃と黒曜石、土偶や石棒・石剣、ヒスイ製・碧玉製の装身具、打製・磨製石斧、磨石、骨片などの遺物も出土し、縄文から弥生へ継続して遺跡が営まれていました。
古墳時代から古代の遺跡では、12世紀前半の平安時代にこの一帯に畑が存在し、畑になる前には集落があったことが判明しました。集落から畑地への転換、そして12世紀前半の火山災害(As-Kk降下)による畑地の放棄という土地利用の変遷の様子がわかりました。
公益財団法人 群馬県埋蔵文化財調査事業団 0279-52-2511