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発掘調査の最新情報
本郷西谷津・本郷広神・本郷満行原・本郷上ノ台・本郷鶴楽(ほんごうにしやつ・ほんごうひろがみ・ほんごうまんぎょうはら・ほんごううえのだい・ほんごうかくらく)遺跡
平成30年1月 調査
高崎市本郷地内
平成30年1月9日~平成30年3月30日
西毛広域幹線道路(榛名地区)建設に伴う埋蔵文化財の発掘調査
群馬県高崎土木事務所榛名支所
縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中近世
遺跡は、高崎市北部の本郷町に所在します。今年度の調査予定遺跡は、北より本郷西谷津、本郷広神遺跡、本郷満行原遺跡、本郷上ノ台遺跡、本郷鶴楽遺跡の5遺跡です。
本郷西谷津遺跡と本郷広神遺跡は、榛名山南麓の末端部に形成された小支谷の谷地に、本郷満行原遺跡と本郷上ノ台遺跡、本郷鶴楽遺跡は、烏川左岸の台地上に位置します。標高は、本郷鶴楽遺跡は標高170メートルほど測り、本郷西谷津遺跡は標高150m前後ほどです。
1月の調査は、本郷鶴楽遺跡と本郷満行原遺跡C区の調査を行いました。本郷鶴楽遺跡の調査では、住居19軒、溝状遺構5条、土坑50基、古墳1基が確認されました。住居跡は、10世紀後半が中心で、ほとんどの住居跡のカマドが東壁に備えられています(写真1)。溝状遺構の中で第1号溝状遺構は、昭和45年に行われた圃場整備事業で失われた道の下層部分にあたります(写真2)。調査では、固く踏みしめられた路面に挟まれて1783年(天明3年)に浅間山から噴出された軽石(浅間A軽石)が堆積していました。調査区南西部では、古墳が一基確認されました(写真3)。この古墳は、昭和45年に圃場整備事業に伴って調査された「本郷奥原古墳群第65号墳」だと考えられます。当時の調査では、65号墳の石室埋土中から8世紀初頭の土師器、須恵器などが出土しています。現在は、以前の調査で未確認であった石室の構築方法を主眼に置いた調査を実施しています。本郷奥原古墳群は、7世紀後半に構築され、8世紀後半まで墓前祭祀が継続して行われていたと想定されています。本郷鶴楽遺跡は、本郷奥原古墳群の東端部分にあたります。
本郷満行原遺跡では、C区で表土掘削を行いました。C区では、溝状遺構や住居跡、畠跡(写真4)、礎石建物跡(写真5)などが確認されています。畠跡は、1108(天仁元年)に浅間山から噴出したAs-B軽石(浅間B軽石)によって畝間が埋没していました。またC区は、以前より、瓦散布地として寺院跡の存在が推定されていた榛名木戸神社に隣接しており、瓦が多く出土しています。C区の調査は、2月から本格的に調査を行う予定です。
本郷西谷津遺跡と本郷広神遺跡は、榛名山南麓の末端部に形成された小支谷の谷地に、本郷満行原遺跡と本郷上ノ台遺跡、本郷鶴楽遺跡は、烏川左岸の台地上に位置します。標高は、本郷鶴楽遺跡は標高170メートルほど測り、本郷西谷津遺跡は標高150m前後ほどです。
1月の調査は、本郷鶴楽遺跡と本郷満行原遺跡C区の調査を行いました。本郷鶴楽遺跡の調査では、住居19軒、溝状遺構5条、土坑50基、古墳1基が確認されました。住居跡は、10世紀後半が中心で、ほとんどの住居跡のカマドが東壁に備えられています(写真1)。溝状遺構の中で第1号溝状遺構は、昭和45年に行われた圃場整備事業で失われた道の下層部分にあたります(写真2)。調査では、固く踏みしめられた路面に挟まれて1783年(天明3年)に浅間山から噴出された軽石(浅間A軽石)が堆積していました。調査区南西部では、古墳が一基確認されました(写真3)。この古墳は、昭和45年に圃場整備事業に伴って調査された「本郷奥原古墳群第65号墳」だと考えられます。当時の調査では、65号墳の石室埋土中から8世紀初頭の土師器、須恵器などが出土しています。現在は、以前の調査で未確認であった石室の構築方法を主眼に置いた調査を実施しています。本郷奥原古墳群は、7世紀後半に構築され、8世紀後半まで墓前祭祀が継続して行われていたと想定されています。本郷鶴楽遺跡は、本郷奥原古墳群の東端部分にあたります。
本郷満行原遺跡では、C区で表土掘削を行いました。C区では、溝状遺構や住居跡、畠跡(写真4)、礎石建物跡(写真5)などが確認されています。畠跡は、1108(天仁元年)に浅間山から噴出したAs-B軽石(浅間B軽石)によって畝間が埋没していました。またC区は、以前より、瓦散布地として寺院跡の存在が推定されていた榛名木戸神社に隣接しており、瓦が多く出土しています。C区の調査は、2月から本格的に調査を行う予定です。
本郷西谷津・本郷広神・本郷満行原・本郷上ノ台・本郷鶴楽遺跡調査事務所 090-2654-3558