よくある質問と回答
むかし、浅間山や榛名山が噴火したって本当?
群馬は、火山の多い県です。
火山は、美しい景色や温泉を生み出して、私たちを楽しませてくれますが、恐ろしい噴火を起こす事もあります。
浅間山も、榛名山も、大昔から何回となく噴火を繰り返してきました。
まいぶん事業団の研究員が遺跡の発掘調査をしていると、浅間山や榛名山が噴火したときに吹き出した、軽石や火山灰が見つかります。
弥生時代から、江戸時代までのあいだには、浅間山が3回、榛名山が2回の大きな噴火を起こしたことがわかりました。
浅間山や榛名山は、昔噴火したことがあると聞きましたが本当ですか?
弥生時代から現在までの間に、浅間山が3回、榛名山が2回の大きな噴火をしています。そして、噴火で噴き出した火山灰にはそれぞれ名前が付けられています。このうち、浅間A軽石と浅間B軽石は当時の記録から噴火の年代が分かりますが、その他の噴火は記録がまったくありません。
記録のない噴火の年代が、どうしてわかるのですか?
考古学では、土器の文様や形からその年代を推定しています。例えば竪穴(たてあな)建物に火山灰が積もっていた場合、この建物内の土器を調べることで火山灰の年代、つまり噴火の年代を知ることができます。
噴火でどんな災害があったのですか?
古墳時代の火山灰で埋もれた代表的なムラに、渋川市の子持村・黒井峯(くろいみね)遺跡があります。
ここでは、榛名山の噴火による厚さ2mもの軽石(Hr-FP)で竪穴建物や平地(へいち)建物などが一瞬のうちに埋まってしまいました。また、高崎市・同道(どうどう)遺跡では、浅間山と榛名山の噴火で埋まった4面の水田が発見されています。
軽石や火山灰で埋もれた遺跡を発掘調査すると何がわかりますか?
噴火は当時の人々には不幸なできごとでした。しかし、普通の遺跡では分からない平地建物や道などを発見することができ、当時のムラの様子や田畑のことが詳しく分かります。群馬県で昔の水田がたくさん発見されるのは、火山の噴火があったおかげです。
噴火のあと、人々の暮らしはどうなりましたか?
渋川市・有馬条里(ありまじょうり)遺跡では、右図のように古墳時代の畑が厚さ1.5mの榛名山の火山灰(Hr-FA)と泥流(でいりゅう)で埋まってしまいました。でも、すぐその後に、泥流の上には水田がつくられました。さらに、この水田が再び厚さ1.5mもの榛名山の軽石(Hr-FP)と泥流で埋まった後に、今度はムラがつくられていました。当時の人々は、火山災害を乗り越えてたくましく生きてきたのです。