古代人はどのように「勾玉」をつくったのでしょうか?
そのつくり方を知ることができる出土品があります。
今から約20年前、高崎市下佐野町にあった「下佐野遺跡」では、古墳時代前期の勾玉づくりのための家の跡(玉作工房跡)が発掘されました。ここでは、完成した「勾玉」(完成品)のほかに、たくさんのつくりかけの 「勾玉」(未成品)が発見されました。
ここでは、下佐野Ⅱ遺跡7区24号住居跡(玉作工房跡)の出土品をもとに、勾玉のつくり方をみていきましょう。
古代人はどのように「勾玉」をつくったのでしょうか?
そのつくり方を知ることができる出土品があります。
今から約20年前、高崎市下佐野町にあった「下佐野遺跡」では、古墳時代前期の勾玉づくりのための家の跡(玉作工房跡)が発掘されました。ここでは、完成した「勾玉」(完成品)のほかに、たくさんのつくりかけの 「勾玉」(未成品)が発見されました。
ここでは、下佐野Ⅱ遺跡7区24号住居跡(玉作工房跡)の出土品をもとに、勾玉のつくり方をみていきましょう。
この玉作工房跡から出土した完成品や未成品の石の材質は、蛇紋岩(じゃもんがん)でした。蛇紋岩とは、火成岩の一種です。青っぽい色をした、比較的やわらかい石であり、磨くと青白い光沢を出す石で、古墳時代の 「勾玉」にはよく使われた材料です。この蛇紋岩は、下佐野遺跡から西に5kmほどのところにある、三波川変成帯と呼ばれる一帯でとれる石です。この玉作工房跡出土の蛇紋岩は、玉作りをしていた人が、産地まで出かけ、人がもてるくらいの大きさに割って、運んできたのです。
産地から下佐野遺跡に運ばれてきた蛇紋岩を、蛇紋岩よりも硬い石をつかって「ガツンッ!」と荒っぽく割ります。これを「荒割り(あらわり)」といいます。割られた石の中から、「勾玉」をつくるのに適当な大きさの石材を選びます。こうして選ばれた石材を「荒割り品」といいます。ちなみに「荒割り品」の状態では、まだ「勾玉」の形はよくわかりません。
荒割り品を、蛇紋岩よりも硬い石や鉄製ののみなどをつかって細かく割り落としたり、目のあらい砥石(といし)で研(と)いだりして「勾玉」の形をつくります。 これを「形割り(かたわり)」といいます。そして「形割り」された石材を「形割り品」といいます。「形割り品」の状態では、「勾玉」の製作者がどんな大きさやどんな形の「勾玉」をつくろうとしているかが、かなりはっきりわかります。
形割り品を、「勾玉」に仕上げるために、目の細かい砥石でていねいに研ぎます。これを「研磨(けんま)」といいます。蛇紋岩はていねいに磨くことで、青みがかった、とてもきれいな輝きを放ちます。また、形割り品には鉄製や木製のキリをつかってあなを開けます。これを「穿孔(せんこう)」といいます。この仕上げ段階では、より美しい色ときれいな孔をあけるために、「研磨」と「穿孔」を慎重にくりかえします。
みなさんも、古墳時代の人と同じ方法で「勾玉」をつくってみましょう。