歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品整理遺跡の最新情報

今月のトピック遺跡紹介平成28年10月
新井(あらい)遺跡【上信自動車道吾妻西バイパス建設事業関連】
転用された磨製石斧(ませいせきふ)
新井遺跡は、吾妻西バイパスの建設に伴い平成26年から発掘調査を実施しています。整理作業は本年度から開始されました。遺跡は岩櫃山(いわびつやま)とは吾妻川を挟んだ対岸、右岸の河岸段丘上の標高410mに立地します。発掘調査では、縄文時代前期と中期末~後期にかけての竪穴住居や柄鏡形敷石住居(えかがみがたしきいしじゅうきょ)と土坑、平安時代の竪穴住居や土坑、近世の畑などを検出し、これらの遺構からは土器や石器が出土しています。なお、新井遺跡の縄文時代については、今年6月に行われた「調査遺跡発表会」でも一部報告しています。
今回紹介する石器は、C区の38号土坑と48号土坑から出土したもので、それぞれ1点ずつ確認されました。38号土坑と48号土坑は、いずれも縄文時代に属する遺構と考えられます。38号土坑はC区の南東、48号土坑はC区中央の南寄りに位置し、両土坑は15mほど離れて検出されました。38号土坑は平面形態が円形に近く、断面が逆台形状の形状を呈し、規模は径1.20m、深さ0.17mを測ります。また、48号土坑は平面形態が円形に近く、断面が袋状の形状を呈し、規模は径0.80m、深さ0.60mです。
写真1に石器を示しました。右は長さ約20cm、48号土坑から出土したもので、左は長さ約15cm、38号土坑で確認されました。共に変玄武岩(へんげんぶがん)でつくられています。両方ともはじめは磨製石斧として利用されたと考えられます。磨製石斧は、刃の部分を含め全体が丁寧に研磨整形されていて、木の伐採に使われたとされるものです。
ところが、いずれの石器も、本来は先端部にあったはずの研磨された鋭い刃は認めらません。代わりに先端は平らになっていて、当初は木の伐採用として利用された磨製石斧が、他の用途に使われたことが分かります。平坦な部分には、何かに敲(たた)きつけたような剥離痕とすりつぶしたような摩滅(まめつ)が認められます。このことから、たとえば石皿の上で何かを割るあるいはすりつぶすといった使用法に転用されたと考えられます。
当時の人々は、その時の必要に応じて石器の形を変えて、臨機応変に物事に対処していました。



写真1 転用された磨製石斧(ませいせきふ)

写真1 転用された磨製石斧(ませいせきふ)

写真2 38号土坑と遺物出土状況 中央の白っぽくみえるのが転用された磨製石斧

写真2 38号土坑と遺物出土状況 中央の白っぽくみえるのが転用された磨製石斧

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