歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品整理遺跡の最新情報

今月のトピック遺跡紹介平成28年8月
川端山下(かわばたやました)遺跡【上武道路建設事業関連】
江戸時代の前橋藩窯(まえばしはんよう)のすり鉢・土瓶(どびん)など
川端山下遺跡は、前橋市川端町に所在し赤城山南西麓から平地へ移行するところに位置します。縄文時代から江戸時代にかけての複合遺跡です。旧河川両岸の微高地に屋敷跡、住居、溝等が、また、低地に水田の畦(あぜ)が見つかっており、本遺跡の特徴を成しています。発掘調査は、平成24・25年度に行われ、整理作業は平成28年に行われています。
本遺跡の調査区A区では、平安時代から江戸時代にかけての各種遺構が見つかりました。調査区B区では、弥生時代の土器片や石鍬(いしぐわ)等の石器、古墳時代の水田跡、中近世の各種遺構が確認されました。
今回、紹介するのは、調査区A区の近世に使用されていたと考えられる1号溝から出土した前橋藩窯(まえばしはんよう)のすり鉢・土瓶(どびん)です。前橋藩窯製品とは、江戸時代に存在した前橋藩直営の陶磁器窯で焼かれたものです。前橋藩直営の藩窯には、皆沢窯(みなざわよう)と高浜窯(たかはまよう)の2か所が知られています。高浜窯(たかはまよう)は、現在の群馬県庁北側にありました。皆沢窯(みなざわよう)は、今でも前橋市富士見町皆沢(みなざわ)の山林に一部が残っており、「皆沢焼窯」として前橋市の史跡に指定されています。
この窯場は関東地方では数少ない磁器を焼いた窯としても重要です。「皆沢焼窯」は前橋藩直営の藩窯として始まったものの、8年ほどで民営に移管されて天保末期ごろまで陶磁器を焼いていたと考えられます。皆沢焼の種類は主に日常什器で、磁器と陶器を同じ窯で生産していました。「皆沢焼窯」からは、磁器では湯飲み、飯茶碗、碗、皿、小鉢、徳利などが、陶器では皿、こね鉢、徳利、土瓶(どびん)、鍋、行平(ゆきひら)、灯火具、すり鉢などの日用品が見つかっています。
前橋藩窯(皆沢焼窯・高浜焼窯)は、殖産興業を目的とした窯であったようです。前橋藩主松平家では、逼迫する藩財政を打開するため各種の殖産興業を行い、その一つとして陶磁器に目を付けたといわれています。陶器の多くは、短時間で鉄釉(てつゆう)が解けた際に生じる「あだびかり」という独特の強い光沢が認められます。本遺跡で出土した皆沢焼と推察される陶磁器は、磁器では小碗、陶器ではすり鉢や土瓶(どびん)でした。すり鉢や土瓶(どびん)の表面には、「あだびかり」と思われる光沢が認められており、皆沢焼の特徴に一致するものでした。
これまでに前橋藩窯製品としては、後田遺跡Ⅱ(みなかみ町)と五目牛南組遺跡(伊勢崎市)から碗が、前橋城跡(前橋市)からは小鉢・土瓶・碗・窯道具などが出土しています。江戸時代に前橋で焼かれていた陶磁器の発見は、当時の幕藩体制における地方都市の殖産興業、それに関わった職人、人々の生活の様相の解明につながると考えています。



写真1 前橋藩窯製品 左:すり鉢 右下3点:土瓶 右上1点:小碗

写真1 前橋藩窯製品 左:すり鉢 右下3点:土瓶 右上1点:小碗

写真2 調査区A区・1号溝の全景

写真2 調査区A区・1号溝の全景

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