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群馬の遺跡・出土品発掘遺跡の最新情報

上ノ平Ⅰ(うえのたいらいち)遺跡 平成28年7月調査
調査場所

長野原町川原畑地内

調査期間

平成28年4月1日~平成28年7月31日

調査原因

八ッ場ダム建設工事に伴う埋蔵文化財の発掘調査

委託者

国土交通省関東地方整備局八ッ場ダム工事事務所

主な時代

縄文時代・平安時代・中近世

遺跡の内容


7月は、1区北東部第1面と2区西側の第1面(平安時代以降)および第2面(縄文時代)の発掘調査を行いました。1区北東部は斜面地のため、大部分が削平されていましたが、上ノ平Ⅰ遺跡から南側に位置する東宮遺跡方面へと続く近世から現代まで使われていたとみられる道1条を確認しました。2区西端は谷地となり掘り下げると湧水が認められ、近世とみられる東西方向の石垣が1カ所確認できました。長野原町かるたに「群馬の政治家野口茂四郎」と読まれるなど、吾妻渓谷沿いに道を切り開いた郷土の偉人である野口茂四郎氏の元邸宅に隣接することからこの邸宅との関連が想定されます。2区では平安時代や縄文時代の竪穴住居などの調査を行いました(写真1・2)。平安時代の竪穴住居は4棟確認し、このうち2棟については、床面全体に焼土や建築部材とみられる炭化物が確認できたことから焼失したものと考えられます(写真3)。縄文時代の竪穴住居は、3棟調査しました。竪穴住居の規模は、直径約5~7mの円形で、複数の柱穴の他に床面中央部に方形の石囲い炉が確認できました。また、一辺70㎝ほどの方形の石囲い炉で、内部に土器を埋め込んだものも確認できました(写真4)。平成18・19年度の発掘調査でも縄文時代から平安時代の竪穴住居群が調査されています。2区西部では湧水が各所で認められ、また多数の陥穴が掘られていることから、豊かな自然環境の中で集落が継続的に営まれていたと考えられます。

連絡先/上ノ平Ⅰ遺跡調査事務所 070-2655-7361


写真1 上が2区第2面空撮(北)

写真1 上が2区第2面空撮(北)

写真2 2区第2面縄文時代と平安時代の竪穴住居調査風景(上が東)

写真2 2区第2面縄文時代と平安時代の竪穴住居調査風景(上が東)


写真3 2区平安時代の竪穴住居調査風景(上が東)

写真3 2区平安時代の竪穴住居調査風景(上が東)

写真4 2区縄文時代の石囲い炉出土状況(上が北)

写真4 2区縄文時代の石囲い炉出土状況(上が北)


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