歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内

中毛地区しどめ塚古墳-高崎市本郷町 古墳時代-

榛名山南麓を流れる烏川の左岸で、榛名白川との合流点近くにある古墳です。昭和36年(1961)に発掘調査が行われ、翌年に県指定史跡となりました。畑の中にあって、周りをフェンスで囲まれています。この古墳の周りには、他にもいくつかの古墳があったことがわかっていて、本郷的場古墳群と呼ばれています。
今から1350年ほど前に造られた古墳で、土を2段に重ねてあるように見えますが、もとの古墳を取り巻くように1段目を後から付け足したものです。表面は石でおおわれています。
死んだ人を納ていたのは、横穴式石室で、南側に入口があり、入口の前には外側に向かって台形に開くように、ちょっと広くなった「前庭(ぜんてい)」という場所が作られています。ここでは、今の「お葬式」や「お墓参り」にあたるようなおまつりが行われていたのだろうと考えられています。
遺物は、石室の中から勾玉などの玉類、刀・鉄のやじりなどの武器、馬に付ける道具や飾りなどが見つかり、前庭からは土師器や須恵器などが見つかっています。

見学案内

しどめ塚古墳・奥原第53号墳ともに無断では中に入れませんのでご注意ください。石室などを見学したい場合には、両方の管理者である榛名町教育委員会にお問い合わせ下さい。
JR高崎駅から群馬バス榛名車庫行き、岐島屋前で下車し、徒歩10分ほどです。
高崎方面から県道高崎・榛名線を来て、左側の曲がり角に案内板がありますが、車では少し見づらいので、「トステム」や「オリエント」の看板も目印になります。なお、曲がり角が狭いのでご注意下さい。ここを曲がって、250mほど行った右側に古墳があります。
また、古墳から東には下長古墳群、西には本郷的場古墳群の大塚古墳・稲荷塚古墳など、さらに西の台地上には奥原古墳群(榛名町指定史跡「本郷塚中古墳群」)があります。
このうち、奥原古墳群の第53号墳は保存整備され、あわせて見学するとよいでしょう。

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は遺跡の位置を表しています。
ここがポイント

しどめ塚古墳の横穴式石室は、自然の河原石を不規則に積む「乱石積」という方法で造られています。
しかし、石室入口に柱のように立てられた石だけは、榛名山の軽石(角閃石安山岩)を加工した石が使われています。
また、羨門から奥へ1.5mほどの部分の壁は、小さめの石を詰め込んだように積まれており、これから奥の壁とは石の積み方に違いが見られます。
これらのことから、一度完成した石室を延長して羨門や前庭を造り、あわせて墳丘の基壇を付け足したと考えられています。
つまり、古墳の造り替えとともに、自然石だけでなく切石を使うという石材加工の技術的な進歩が見られる貴重な例といえます。
なお、この造り替えは、出土遺物の時期などによって古墳が造られてから50年前後(7世紀末から8世紀初頭ごろ)に行われたと考えられています。
さらに出土した馬具の中には、奈良県の法隆寺や正倉院に納められている宝物に共通するものがあり、特徴的な遺物といえるでしょう。
このほか、古墳の周辺には、奈良時代の寺院跡や役所である郡衙があった場所と推定される「みかど」(三角)の地名などがあり、これらとの関連も注目されます。

もっと知りたい!

しどめ塚古墳については、『群馬県史・資料編3』(発行・群馬県)や『群馬県の史跡・古墳編』(発行・群馬県教育委員会)などに詳しく書かれています。
このほかに本郷的場古墳群では、大塚古墳について『群馬県史・資料編3』、稲荷塚古墳を含む4つの古墳について『本郷的場古墳群』(発行・群馬県埋蔵文化財調査事業団)の報告書などがあります。
なお、しどめ塚古墳からの出土遺物は、群馬大学に保管されています。

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