歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内

中毛地区女堀-前橋市上泉町から伊勢崎市国定町 中世-

女堀は、前橋市上泉町から荒口町、二之宮町、旧佐波郡赤堀町を通り旧佐波郡東村西国定までの約13㎞にわたるとても長い溝です。幅は15mから30m、深さ3mから4mという、とても大きな溝です。赤城山南麓の標高およそ100mの等高線に沿うように、東西に向かって掘られています。
女堀は、長い間、いつ、誰が、なんのために、どのようにして築いたのか、全く謎に包まれていました。「女堀」という名前の由来もわかっていませんでした。しかし、発掘調査や古い記録などから、だんだんにその謎が解かれてきました。
女堀は、古代の終わり、中世はじめ頃の用水路でした。しかし、農業用水路としての役目は果たせませんでした。どうも完成をしないうちに工事が中断し、そのまま放置されたようなのです。
女堀は、古代から中世に移り変わる時期の、地域の姿を描き出す全国的に見ても貴重な遺跡として、1983年に国指定遺跡になりました。

見学案内

開墾などのために、わかりづらくなっているところもありますが、遺構がよりよく残っている場所を案内しますと、次の場所が良いと思います。
赤堀町では堀を生かしてしょうぶ園をつくりました。毎年6月になると人々の目を楽しませてくれています。
▼「赤堀町しょうぶ園」に行かれる場合
 ・JR及び東武伊勢崎線の伊勢崎駅よりタクシーでおよそ10分
 ・北関東自動車道 伊勢崎インターよりおよそ5分
▼前橋市城南工業団地内に行かれる場合
 ・JR及び東武伊勢崎線の伊勢崎駅よりタクシーでおよそ15分
 ・北関東自動車道 伊勢崎インターよりおよそ10分

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は遺跡の位置を表しています。
ここがポイント

1108年に浅間山は大爆発を起こしました。このとき広い範囲に大量の火山灰や軽石を降らせました。赤城山南麓や大間々扇状地も大きな被害を受けました。この堀は、この地域の火山災害を乗り越えて新たな水田を開くために作られた農業用水路でした。発掘調査によって、女堀を掘りあげた土の下から、浅間山の軽石によって埋められてしまった畑が見つかりました。災害を受けた畑をつぶして水路をつくり、水がなかったために水田にできなかった場所に水を引く計画だったのでしょう。
桃の木川(昔は利根川)から取水し、早川に排出する計画だったと考えられます。工事は、その間をおよそ150mから200mごとに工区を分け、それぞれ別のグループが分担し掘削していくものでした。工区内を大きく南北に分け、交互に少しずつ掘り下げていく方法をとっていました。最後には中央に排水路をもうけた幅の広い堀が完成するはずでした。
ところが、発掘調査の結果、溝の底に掘削途中のところがあったり、掘った深さも区間ごとにまちまちだったことなどわかりました。女堀の工事は、農業用水路としての完成を待たずに終わっていたのです。詳しく調べてみると、明らかな設計ミスや各工区間の調整ミス、自然災害などが原因だったことがわかりました。
群馬県や埼玉県では、すでに使用されなくなった廃溝を「女堀」とよぶことが多いようです。「女堀」という名前の由来も、これと同じなのでしょう。

もっと知りたい!

女堀の発掘調査は、群馬県埋蔵文化財調査事業団や前橋市、赤堀町などによって、いくつかの場所で行われています。残された足跡や工具痕など生々しい様子が発見され、工事の工程や具体的な作業過程などがわかってきました。「よみがえる中世5」(平凡社)には発掘調査でわかったことが詳しく書かれています。
女堀を見ることができる場所は、上に紹介したほかにも何か所もあります。「群馬の史跡」(群馬県教育委員会)でも紹介されています。何か所かをあわせてごらんになると、計画や工事の大きさが良くわかるのではないでしょうか。

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