歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内

中毛地区観音山古墳-高崎市綿貫町 古墳時代-

群馬県の古墳の中でも、特に有名な古墳の一つです。
古墳時代後期に当たる、6世紀に作られた前方後円墳で横穴式石室には、非常に多くの、豪華な副葬品が納められていました。その中には、中国大陸や朝鮮半島との交流を示す品物もあって、全国的な注目を集めました。
墳丘には、石室の入り口近くを中心に、人物埴輪がたくさん立てられていました。それぞれの埴輪の作りが、非常に優れていることとともに、よろいを着て武装した人物、盛装して帽子をかぶった貴人、手を合わせたり、捧げものを持った巫女(みこ)などが、どんな物語をあらわしているのかについても、さまざまな意見が出されています。

見学案内
バス
高崎駅からのぐるりんバス「群馬の森」下車 徒歩20分
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は遺跡の位置を表しています。
ここがポイント

大きさだけをとれば、観音山古墳より大きな古墳はいくつもありますが石室、埴輪、副葬品など、あらゆる点で一級の古墳と言えるでしょう。
石室の壁は、榛名山の噴火で吹き出された軽石を加工して組み上げ、天井には吉井町の牛伏山産の大きな砂岩を運んで乗せています。副葬品は、刀、よろいや甲、馬につける馬具やその飾り金具などをはじめ多くの種類があり、数も豊富です。なかでも、銅製の鏡は朝鮮半島にあった「百済(くだら)」と言う国の武寧(ぶねい)王という王様の墓で見つかった鏡とそっくりです。銅で作られた水差しは、中国で似た形のものが見つかっています。
観音山古墳は、朝鮮半島や中国と、何らかの形でつながりを持っていた人のお墓なのかも知れません。観音山古墳から、今の原子力研究所の敷地にかけて、古墳時代の中頃から、大きな古墳が引き続くように作られています。特に力を持った権力者が続いた土地柄だったのでしょう。古墳時代群馬の中心地の一つであったと考えられます。

もっと知りたい!

群馬の森にある、群馬県立歴史博物館には、観音山古墳の石室を再現した特別な展示ケースがあって、多数の副葬品が展示されています。

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