歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内

中毛地区金井沢碑-高崎市山名町 奈良時代-

高崎市南部、観音山丘陵に続く丘陵の南向き斜面に建っている石碑です。この金井沢碑から南西に1.5kmほど離れた同じ丘陵地には山ノ上碑と山ノ上古墳もあります。多胡碑と併せてこの三つの石碑は、「上野三碑」としてよく知られています。
金井沢碑は、高さ約110cm、幅約70cm、厚さ約65cmの大きさの安山岩の川原石でできており、南側の比較的平らな面に9行112文字が彫り込まれています。その末尾に記された年号から、奈良時代始めの神亀三(726)年三月に作られたと考えられます。
昭和29(1954)年、山ノ上碑とともに国の特別史跡に指定され、現在保存施設が建てられて、見学できるようになっています。

見学案内
信越自動車道吉井IC下車、北へ約20分。
電車
信電鉄根小屋駅下車南西へ約800m、城山小学校の東側。
または、JR高崎駅下車、城山団地行きバスで城山団地下車、東へ約500m。
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は遺跡の位置を表しています。
ここがポイント

金井沢碑は、楷書体で112文字が彫られています。風化が進んでいるため、肉眼では読みとりにくい部分が多くなっています。その内容は、三家(屯倉・みやけ)の子孫ら9人が父母や祖先の供養のために仏教による縁を結び、そのことを天地神仏に誓うというもので、同じような内容を記す山ノ上碑とも関連が深く、この頃の群馬での仏教の広まりや、当時の一族のつながりの様子を知る上で貴重な資料となっています。
この碑については、現在ある場所の近くから掘り出されたとも、雨で崩れた所から見つかったとも、あるいは南側を流れる沢(金井沢)に埋もれていたものともいわれていますが、よくわかっていません。いずれにせよ、江戸時代に発見されたもののようです。その後、明治の始めに、当時の群馬県令(現在の県知事)だった楫取素彦(かとりもとひこ)が注目して、保存の計画が立てられるようになりました。

もっと知りたい!

「上野三碑」はいずれもそこに書かれている文面から、当時の上野国(群馬県)の様子を知る上で重要な手がかりを与えてくれますが、現在では肉眼で直接文字を読みとるのはかなり難しい状態です。吉井町の町立多胡碑記念館に行くと、この「上野三碑」の実物大の復元模型や、文字を読みとりやすくした展示などがあり、内容を理解しやすいように工夫されています。
また、「群馬県史」第2巻通史編2にも、この上野三碑についての解説や、これまでの研究の経過がまとめられています。より詳しく知りたい場合に大変便利です。公立図書館に置いてありますから、参考にしてください。

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