歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内

中毛地区上植木廃寺-伊勢崎市本関町・上植木本町 古墳・奈良・平安時代-

7世紀後半ごろに建てられた寺院の跡で、群馬県内では最も古い寺院の一つです。
昭和57年から行われた発掘調査によって、金堂・塔・講堂・中門・回廊などの建物跡が見つかり、整った伽藍をもった大規模な寺院であることがわかりました。遺跡の西側には屋根に葺く瓦を作った瓦窯の跡も見つかっています。
出土品には多くの瓦片のほか、奈良三彩といううわぐすりをかけた陶器、塔をかたどった瓦塔、土器などがあります。
現在遺跡には案内板が立っていますが、建物の跡などは残っていませんから、当時の姿は少しわかりにくいかもしれません。建物の柱を支えた礎石は西側200mにある広場と、伊勢崎市内の相川考古館に数個ずつ残っています。

見学案内
北関東自動車道伊勢崎インターチェンジより約10分
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は遺跡の位置を表しています。
ここがポイント

7世紀後半は「白鳳時代」と呼ばれる時代で、このころ群馬県にも仏教が伝わり、寺造りが始まりました。県内で最初に作られたのは上植木廃寺の他、前橋市山王廃寺、太田市寺井廃寺などであり、相前後して建設されています
。 寺院を作るためには、仏像の鋳造や建物の建設、瓦の生産など、多くの新技術を必要としました。これら3ヶ寺では違った文様の瓦を使っていますので、それぞれの地域の豪族が別々に新技術を取り入れて建設したことがわかります。
上植木廃寺で最初に使われた瓦は、一般に奈良県山田寺の系統の中で考えられてきたものですが、近年はよく似た瓦が出土する愛知県地域との関連も考えられています。
上植木廃寺を作った氏族は、佐位郡の豪族として文献資料にあらわれる「檜前(部)君」ではないかと言われています。彼らが大和、あるいは尾張の豪族と何らかの関係を結び、その豪族の抱える技術者を招いて寺院という大きな建築を作ったのでしょう。この地域の歴史を考える上できわめて重要な遺跡であることがわかると思います。
なお、上植木廃寺は平安時代の後期には廃絶してしまったようなので、寺院があったのは300~400年間であったと思われます。

もっと知りたい!

伊勢崎市内にある相川考古館には、上植木廃寺から出土した瓦や瓦塔が収蔵・展示され、中庭には礎石が4個置かれています。その他、4点の重要文化財を含む埴輪を多数展示していますので、ぜひ見学することをおすすめします。

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