歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内

中毛地区荒砥富士山古墳-前橋市西大室町 古墳時代-

荒砥富士山古墳は、前橋市西大室町の小高い丘の頂上付近にあります。 直径36m、高さ4mほどの円墳で、古墳時代のおわりに近い、7世紀末ごろの古墳です。周囲には幅5mから6m、深さ0.5mの堀があります。 この堀を含めた直径は46mとなり、この時期の群馬県の円墳としては大型の古墳であることがわかります。
古墳は四段に築かれています。正月の鏡餅が四個重なっている形を想像してください。そして、各段の斜面の部分には屋根瓦のように石がふかれています。
死者を安置する施設は横穴式の石室で、古墳の南に入り口があり、幅1.1m、長さ3.6mの通路の奥に、幅2.1m、長さ2.4m、高さ2.1mの部屋が設けられています。石室は30㎝を単位として設計されたことがわかります。大きな石を積み上げて壁をつくり、通路と奥の部屋の天井には、合計4個の大きな石が、左右の壁をまたぐように乗せてあります。
荒砥冨士山古墳のように、1300年前の状態を保ち今も残っている古墳は数少ないので、平成9(1997)年3月28日に群馬県が史跡に指定しました。

見学案内

前橋市の東部、国道50号線の「二之宮町」の信号から県道伊勢崎大胡線を北上しておよそ1.5km、前橋市立荒砥中学校の北を通ってくる道路との交差点(北東角に酒店があります。)を右折して東に約800m進むと、送電線の鉄塔のすぐそば、道路の北に植木で囲まれた墓地があります。その裏手の50mほどのところにある小山が荒砥冨士山古墳です。
農道への曲がり角に標柱が立っていますから、これを見落とさないように。
現在は石室の入り口の天井の石が露出していますが、入り口を土でふさいであるので残念ながら中に入ることはできません。

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は遺跡の位置を表しています。
ここがポイント

横穴式の石室は古墳時代の中頃の5世紀終わりに現れ、古墳時代の終末まで続きました。死者を葬った後に、石室の入り口をふさぎますが、ふさぎ方には、ヒトの頭ほどの大きさの石を詰め込む方法と、扉のような大きな石でふたをするものとがあります。
荒砥冨士山古墳の場合は扉石の方法を用いています。しかも、石室の入り口ばかりでなく、石室奥の部屋の入り口にも扉石が使われていました。
石室の入り口は角柱状に加工した石を組み合わせて精巧に造られていて、上部幅90㎝、下部幅105㎝、高さ90㎝の台形に口が開いています。これを一枚の石でふさぐわけですから、石室入り口の扉石は横117㎝、縦96㎝、厚さ38㎝の巨大なものです。扉石は入り口の石と同じように、各面が平らに加工され、どのような目的があったかはわかりませんが上面には突起が造られていました。さらに、扉石の内側は石室の間口に合わせた大きさの出っ張りを削り出して、ピッタリとはめ込むようになっていたのです。
奥の部屋の入り口の扉石も、横84㎝、縦96㎝、厚さ15㎝の大きなものです。板状に平らに加工されてはいませんが、表面はなめらかに仕上げてありました。
荒砥冨士山古墳のように加工した大きな石材を用いて石室が造られている古墳は、古墳時代の終わり頃に出現しますが、その数は限られています。県内の各地に点在しているので、このような古墳にはそれぞれの地域の首長が埋葬されたものと考えられます。

もっと知りたい!

発掘調査報告書が刊行されています。
「富士山Ⅰ遺跡1号古墳」群馬県教育委員会 1991
県立図書館、事業団の図書室などで閲覧できます。

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