歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内

東毛地区矢太神沼遺跡(やだいじんぬまいせき)-太田市新田大根町 縄文時代-
     

新田町大根の、「矢太神沼」は、わき水で有名です。太田市のほうに流れてゆく、石田川のみなもとです。矢太神沼遺跡は、この沼のすぐそばにあります。 昭和50年、東京電力の送電線鉄塔建設のために発掘調査が行われ、縄文時代後期の竪穴住居がみつかりました。 住居は、直径5mほどの丸い形をしています。 炭になった屋根や柱の木がたくさん掘り出されたことから、火災のために捨てらられた住居だろうと考えられています。 そのため、土器や石器などの生活用具類がそのまま置き去りにされたらしいのです。 住居のはじのほうに、土器や石器が並んでおかれていることがわかり、竪穴住居の生活時の様子を考えるうえで貴重な発見となりました。

見学案内
県道前橋館林線で伊勢崎から20分、北関東自動車道では伊勢崎インターから25分。
東京電力の送電線鉄塔が目印です。
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は遺跡の位置を表しています。
ここがポイント

矢太神沼遺跡は、渡良瀬川がつくった大間々扇状地の先端部に位置しています。新田町は、赤城山麓からしみこんだ雨水がわき出す地域にあたっており、数多くのわき水の池が点在しています。この遺跡の名称となった「矢太神沼」もその一つで、現在も石田川の源泉として満々と水をたたえています。
矢太神沼のまわりには、縄文時代早期・前期・中期・後期の土器が広い範囲で見つかっていて、長い期間にわたってムラが作られていたことを示しています。どの時代でもそうですが、特に自然のめぐみにたよることの多かった縄文時代のムラには水が欠かせませんでした。飲料水としてはもちろん、木の実のあくを抜く、水さらしのための生活水を得ることがどうしても必要でした。矢太神沼をはじめとするわき水は、縄文時代の人々にとって、とてもありがたい自然の恵みだったのでしょう。矢太神沼のわき水があったからこそ、縄文時代の人々は長い間ここに住み続けたのでしょう。
つまり、矢太神沼遺跡は「なぜ、そこに遺跡があるのか」を知ることのできる、格好のモデルなのです。

もっと知りたい!

矢太神沼遺跡の住居から出土した主な土器は、群馬県立歴史博物館に常設展示されています。ほぼ完全な形の土器も多く、北関東地方の縄文土器の様子を知る基準資料になっています。
また、この地域は平安時代末期に成立した「新田荘」の一部として国の史跡に指定されています。新田町にある生品神社や江田館は、当時のおもかげを残しています。少し足をのばせば、尾島町の東毛歴史資料館や長楽寺、東照宮なども見学できます。

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