歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内

東毛地区別所茶臼山古墳(べっしょちゃうすやまこふん)-太田市宝泉地区 古墳時代-

太田市東部に広がる宝泉(由良)台地では、歴史の面影を今に伝えるたたずまいを多く目にすることができます。中でもひときわ目を引くのが円福寺とその境内にある文化財。別所茶臼山古墳は円福寺(宝泉)茶臼山古墳とも呼ばれ円福寺境内にあり、他の文化財と共に県指定史跡になっています。
墳丘の全長は約168mで県内でもトップクラスの規模を誇り、や円筒列の存在が確認されています。墳丘の周りには堀がめぐらされていましたが、現在ではほとんど埋まっていて、北側にその名残をわずかに見ることができます。築造時期は日本最大の仁徳陵古墳(5世紀中ごろ)がつくられる以前の5世紀前半と考えられています。この時期までに古墳の巨大化が進み、分布も東北地方南部から九州南部に広がります。被葬者は現在の県東部一帯に勢力を有していた首長たちの中の盟主と考えられています。
これまで群馬大学と太田市教育委員会により数回にわたり部分的に発掘調査が行われ、出土遺物はそれぞれに保管されています。

見学案内
バス
太田駅から広域公共バス28番または30番に乗り県道前橋館林線沿いの「脇屋入口」で下車。そこから西方向に「別所」の信号が見えますのでそこを南に向かって約500m行くと東側に古墳が見えます。

新田氏ゆかりの円福寺境内には他にもたくさんの見所があります。多層石塔や五輪塔などが数多く並ぶ新田氏累代の墓(県史跡)、新田の荘の領主として室町時代に活躍した岩松満国の法名が刻まれた(県史跡)、鎌倉時代から伝わる十二所神社神像(市重要文化財)など盛りだくさんです。

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は遺跡の位置を表しています。
ここがポイント

古墳の規模などから、地域の歴史を読み解くこともできます。別所茶臼山古墳を中心に地域の歴史を覗いてみましょう。
おそくとも4世紀中ごろまでに九州から中部地方までを統一した大和政権は、その後現在の群馬・栃木にまたがる地域に拠点を置き、支配を東に拡大して行きました。そのためこの地域には大和政権から多くの人材が派遣され、開発が進められました。別所茶臼山古墳の南5kmほどの所にある古墳(全長約123m,4世紀後半)などはこういった開発などを担った一首長の墓だと考えられています。
このような首長たちの盟主として県東部一帯を統合したのが別所茶臼山古墳の被葬者だと考えられています。このころ、県西部一帯にはこれに匹敵する勢力がありました。古墳(全長約174m,高崎市)の被葬者を中心とする勢力です。しかし、5世紀中ごろには両古墳を凌ぐ東日本最大の天神山古墳(全長約210m,太田市)が出現します。この古墳は長持形石棺という大和政権の王が用いたのと同じ石棺を有しています。被葬者は別所茶臼山古墳の首長の基盤を引継ぎ、大和政権の後ろ盾のもと毛野を統一したのだと考えられます。

もっと知りたい!

別所茶臼山古墳のある東毛地域は、いくたびか歴史の重要な舞台となってきた地域です。そんな東毛地域の歴史をより詳しく知るには新田郡尾島町にある「東毛歴史資料館」がおすすめです。周辺地域の散策とあわせて、是非足を運んでみてください。

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