歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内

東毛地区高津戸城(たかつどじょう)-みどり市大間々町高津戸 中世-

高津戸城は、渡良瀬川の谷沿いにある要害山の山頂にある中世のお城です。
現在、要害山の頂上にある要害神社の場所が、城の本丸の位置で、周囲には関連する施設も作られていました。
現在、建物は残っていませんが、当時の様子はほぼ完全といえるほど良い状態で残っています。
この場所に城を最初に作ったのは、11世紀末から12世紀のはじめ、山田七郎吉之だという記録があります。
しかし、この時期にこのような城が築かれていたことは考えにくく、また、山田氏という豪族が、この時期にここにいたことを確実に確認することはできていません。
また、現在残る高津戸城のもととなる城が、14世紀の中頃に作られていたという考えもあります。
しかし、やはりこちらもその事実を確認するには至っていません。
高津戸城の歴史については、中世に城が作られたことが確認できるものの、詳しいことは、まだ謎に包まれたままとなっています。

見学案内
北関東自動車道 伊勢崎インターチェンジから30分
バス
わたらせ渓谷鉄道「大間々駅」下車徒歩6分、東武鉄道「赤城駅」下車徒歩20分。
電車
大間々町営バス「大間々駅」「二丁目東」下車徒歩6分
ながめ公園、高津戸渓谷、要害山などを目指してください。
地図を表示
は遺跡の位置を表しています。
ここがポイント

高津戸城は、桐生周辺にある城の中で重要な位置にあります。しかし、当時この地にいた桐生氏は、これを重要なものとして見ていなかったようです。ここを桐生氏が保持していたら、この地の歴史は変わったかもしれません。高津戸城の歴史について、詳しいことはわかっていません。しかし、この城にまつわる伝説として、いくつかの歴史を記した本に里見兄弟の悲話が伝えられています。
『桐生氏に仕えていた里見実堯(さねたか)という人物がいました。桐生重綱のとき、重綱のまわりにいる者たちによって、桐生家や政治が乱れたので、実堯が注意したところ、逆にじゃま者扱いされることとなりました。その後、実堯は重綱のまわりにいる者たちによって、死ぬこととなります。その仇を討とうと、実堯の息子兄弟が高津戸に秘密の砦をかまえ、敵を攻めましたが、弟が討ち死にし、兄も切腹して死んでしまいました。そして、目的を果たせずに死んだ兄弟の無念だけが残りました。』
この悲話は、物語の可能性が強いと考えられています。しかし、このような話が伝えられているのは、この高津戸城があったこの場所が、様々な武将たちが奪い合い、また、これに上杉謙信や後北条氏が複雑にからみ、人々の記憶に残った場所なのだからでしょう。このような戦いの歴史と、関東平野を前にそびえる高津戸城の姿は、歴史的ロマンを十分に感じさせてくれます。

もっと知りたい!

〈資料館・史跡〉大間々町内に「大間々町歴史民俗館 コノドント館」があります。また、要害山の南方、ながめ公園より徒歩5分ほどのところ、阿弥陀堂の境内地に里見兄弟と従者の墓(五輪塔群)(大間々町指定史跡)があります。
〈文献〉「群馬の古城」(2001 山崎一 あかぎ出版)、「まんが おおままの歴史」(2000 大間々町町誌編さん室)などが参考になります。

前ページへ戻るページトップへ戻る