歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内

東毛地区中塚古墳(なかつかこふん)-桐生市新里町新川 古墳時代-

中塚古墳は、赤城山の南に広がる台地の斜面にある、古墳時代の終わり頃(7世紀後半)の円墳です。1950(昭和25)年に群馬大学が、1980(昭和55)年に新里村教育委員会が発掘調査を行いました。その結果、中塚古墳は二段に築かれた円墳で、古墳をめぐる溝も含めると直径が約50mあり、県内でも比較的大きな古墳であることがわかりました。
死者を葬った横穴式石室は、四角く切りそろえられた、大きな石を積んで作られています。この石室に使われている石は非常にていねいに切りそろえられ、隙間なくきれいに積まれています。このような石室はこの地域では非常に珍しく、1979(昭和54)年には群馬県の指定史跡(していしせき)になっています。1920(大正9)年に石室の入り口が開いた時には、警察官が立ち会って確認をしたということですが、中からは何も何も見つからなかったそうです。

見学案内
電車
上毛電鉄「新里駅」で下車、県道前橋大間々桐生線を東に進みます。左側にレストランのある角を左折して坂道を上がっていくと案内の看板がありますので、看板の通りに進んでください。駅から15~20分ほど歩くと畑の中に中塚古墳があります。
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は遺跡の位置を表しています。
ここがポイント

中塚古墳の周辺には10数基の古墳が集まっています。このことは、この周辺に多くの人々が集まって生活していたことを示しています。中塚古墳はそうした人々を支配していた人のお墓です。
中塚古墳のすぐそばに「武井廃寺(たけいはいじ)塔跡」がありますが、実はお寺の塔ではなくて、お墓だろうと考えられているものです。塔の柱を支える石と考えられていたものは、火葬した骨を納めた、石の骨壺だったようです。中塚古墳に続く、地域の有力者のお墓でしょう。
高崎市山名町には、「上野三碑(こうずけさんぴ)」と呼ばれる有名な石碑の一つである「山ノ上碑(やまのうえひ)」があります。この碑には「新川臣(にいかわのおみ)」という人の名前が記されています。この新川臣は現在の新里村新川を中心とした地域の権力者であったと考えられています。もしかしたら、中塚古墳や武井のお墓は、新川臣か新川臣に関係のある人が埋葬されたお墓なのかもしれません。

もっと知りたい!

新里村のホームページには、中塚古墳をはじめ、武井廃寺など新里村の文化財が紹介されています。群馬県教育委員会「群馬県の史跡・古墳編」(1995)は一般向けの解説書です。

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