歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内

東毛地区金山城(かなやまじょう)-太田市金山町 中世-

太田市のシンポルとして親しまれている金山、この金山のほぼ全体が金山城です。
金山城は、1469(文明元)年に岩松(新田)家純により築かれました。その後、岩松氏の重臣横瀬(由良)氏に実権が移っています。
この時期、上野と呼ばれた群馬県地域は、越後の上杉氏、甲斐の武田氏、相模の小田原北条氏など、有力な戦国大名に取り囲まれていました。
金山城主の横瀬氏は、上杉氏や小田原北条氏と関係を保ちながら生き残りを図っていました。その間、十数回もの攻撃を受けましたが、金山城は一度も城の中枢部に攻め込まれず、その守りの堅さを誇りました。しかし、1584(天正12)年小田原北条氏の謀略により直接支配下に入りました。
そして、1590(天正18)年豊臣秀吉が小田原北条氏を攻め落としたことにより、金山城も廃城となりました。

見学案内
金山モータープール(西城駐車場)が西城にあります。
徒歩
様々なハイキングコースがあります。大光院からなら30分程度です。
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は遺跡の位置を表しています。
ここがポイント

「城」というと大阪城や姫路城など天守閣をもつ近世の城を思い浮かべてしまいますが、金山城は「山城」という種類の城です。急峻な斜面や岩盤を巧みに利用し、柵を巡らせたり、土を掘って土塁を築いたり、岩盤を削って堀を掘ったり、石を積んで石垣を造るなどしています。つまり、金山全体の自然地形を利用しながら「巨大な要塞」を作り上げ、外敵の侵攻を防いだのです。また、金山城のような戦国時代の石垣は、県内では極めて少なく、関東でも東京都八王子市にある八王子城以外はあまり知られていません。石の積み方は、私たちがよく見る近世の石垣とは違っています。
平成7(1995)年から、金山城の復元整備が行われています。復元された姿を見ると、この城がどうして長い間、敵の攻撃を防ぐことができたのか、その圧倒的な堅固さを体感することができます。

もっと知りたい!

『太田市史』通史編中世 1997、山崎一『群馬の古城』中東毛編あかぎ出版 2001などの書籍。
太田市のホームページ(http://www.city.ota.gunma.jp/)の中に太田市教育委員会による金山城の発掘調査の状況など様々な情報が掲載されています。
尾島町にある東毛歴史資料館にも新田氏関係の資料が展示してあります。
太田市近隣には、新田氏関連の史跡が多く存在します。ぜひ見学してみてください。

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