歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内

西毛地区下高田虻田遺跡(しもたかたあぶだいせき)-富岡市妙義町下高田 中世-

下高田虻田遺跡は室町時代の遺跡です。1983(昭和58)年に発掘調査され、宝篋印塔(ほうぎょういんとう)や板碑(いたび)、壺、五輪塔(ごりんとう)のかけらなどが見つかりました。発掘調査前から中世に墓のしるしとして宝篋印塔2つが立っていました。発掘調査をしてみたところ、それらの塔が今から約650年前の室町時代から、その場から動かされることなくあったことがわかりました。2つの宝篋印塔のうち1つの下からは、焼いた骨の入った壺もみつかりました。
宝篋印塔や板碑、五輪塔は人びとが死者のめい福を願ってお墓に立てたものです。この遺跡に身分の高い武士、または僧りょがほうむられたのではないかと考えられています。また、遺跡のまわりは平らに整地されていて、井戸の跡があります。周辺には「観音寺」や「千福寺」などの寺に関する地名があることなどからかんがえると、遺跡が寺の一部であった可能性もあります。

見学案内
上信越道富岡インターチェンジより約20分
バス
上信電鉄上州富岡駅から上信ハイヤー妙義・菅原方面行き(2時間に1本程度)虻田入口下車、徒歩10分

遺跡は妙義町下高田994番地にあります。道からやや離れた竹やぶの中にあるため、場所がわからない場合は地元の人に話を聞いてみて下さい。
遺跡の東約200m(妙義町下高田661番地)に妙義町指定重要文化財の高太神社本殿が、南東約2.8kmの地点には富岡市の貫前神社があります。あわせて見学するとよいでしょう。

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は遺跡の位置を表しています。
ここがポイント

宝篋印塔や板碑、五輪塔は、主に鎌倉時代から室町時代にかけて死者のめい福を祈るためお墓に立てられたもので、県内各地で見られます。下高田虻田遺跡の宝篋印塔は約650年もの間、その場から動かされることなく残っていました。このような例はめずらしく、当時の死者の埋葬の方法や遺跡周辺の様子などを知る上でも重要な遺跡となっています。
遺跡で見つかった壺の中には焼いた骨が入っていました。当時、死者は焼かずに埋める方法(土葬)が普通でした。この遺跡のように死者を焼いて埋葬する方法(火葬)は仏教の教えに従うものであり、同時に、ある程度身分の高い人物に許された方法でした。このことから、墓にほうむられた人は仏教を熱心に信仰した身分の高い人物であったことがわかります。
戦乱で世の中が荒れた時代の中で、死後には極楽浄土に行き安心して暮らしたいという当時の人々の祈りがこの遺跡から感じられます。

もっと知りたい!

宝篋印塔とはもともと、おしゃか様の骨や「宝篋印陀羅尼」というご利益のある呪文を納めるための塔でしたが、後に墓標となったものです。板碑とは石の板状の卒塔婆で、死者のめい福を祈ったり、ここがお墓であるということを示したりするためのものです。発掘調査の後、宝篋印塔と骨は、元のところに再び埋葬されました。2つの宝篋印塔は現在も遺跡で見ることができます。そのほかの出土した板碑や骨蔵器などは妙義町教育委員会に保管されています。

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