歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内

西毛地区岩津保洞窟遺跡(いわつぼどうくついせき)-多野郡神流町青梨 弥生時代-

流川の右岸に口をあける洞窟です。
昭和55年から57年にかけて調査され、弥生時代中期の人の骨が6人分見つかりました。この洞窟は弥生時代にはお墓として利用されていたようです。
また、栃木県によくみられる土器や南の海の貝でつくられた腕輪も見つかり、当時の人々が多方面の人々と交流をもっていたことが明らかになりました。

見学案内
藤岡インターチェンジより1時間
バス
JR新町駅より日本中央バス 上野村・砥根平方面行き 高八木下車。徒歩1分
地図を表示
は遺跡の位置を表しています。
ここがポイント

岩津保洞窟遺跡は神流川の上流の山あいにあります。しかし、けして孤立した存在ではありませんでした。遺跡の時代は弥生時代中期の前半。関東地方ではまだ弥生文化が始まってまもないころの遺跡です。そこには屈葬(くっそう)のように縄文的な要素や、土器の底にみられる布の跡や磨製の石鏃などの弥生的な要素、オオツタノハの貝輪のように南からの要素、抜歯(ばっし)のように西からの要素、野沢Ⅰ式土器のように北からの要素など、さまざまな要素がからみあってみられます。
このように、孤立した文化というよりは、むしろ当時の活発な交流のあかしをしめした遺跡といえるのです。

もっと知りたい!

神流川右岸の切り立った岸壁(がんぺき)に、川の浸食(しんしょく)によってできた洞窟が北向きに口をあけています。その規模は幅8m、高さ7m、奥行き16mと比較的大きなものです。
調査では、この洞窟に厚さ4mにも及ぶ遺物を含む層が堆積(たいせき)していることが確認されました。縄文時代早期から晩期、弥生時代中期までの長い期間、人々は繰り返しこの洞窟を利用してきたのです。
特に最上層からは埋葬(まいそう)された6人分の人骨が見つかりました。弥生時代の中期前半のものです。1~3号人骨は一人ずつ埋葬され、5~7号人骨は一緒に葬られていました。いずれも足や腕を折り曲げた屈葬というスタイルで埋葬されています。
特に注目されるのは、5~7号人骨の埋葬状態です。3体を小さな穴の中に折り重なるように納め、その上に石をつみ、さらにシカの角と土器をおき、その後火が燃やされていることが確認されました。
何の目的でこのような儀式が行われたのかは、まだはっきりしていません。
ただ、当時の埋葬の儀式をほうふつとさせてくれる遺跡です。

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