歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内

北毛地区高野原遺跡-利根郡川場村生品 弥生時代・古墳時代-

利根川と片品川が合流する沼田市の周辺は、群馬県のなかで最北の弥生時代の遺跡が集まるところです。ここには北にそびえる武尊山(ほたかさん)の山すそを中小の川が流れていて、水田の作れる大小の谷が発達しています。この谷は、洪水も少なく安定した耕地として、ずっと水田が作られていたようですが、その最初は今から約二千年前の弥生時代中ごろまでさかのぼります。ここで多くのムラが作られるようになったのは、弥生時代のおわりごろにあたる今から約千七百年前のことで、高野原遺跡もそのひとつです。
 高野原遺跡の発掘調査は昭和49年に行われ、弥生時代終わりころから古墳時代はじめにかけての住居12棟が見つかりました。住居からは樽式(たるしき)とよばれる弥生土器や糸をつむぐ道具、土製のさじなどがみつかり、当時の生活の様子がよくわかります。また、住居の中には焼け落ちて炭になった屋根材も見つかり、もともとの住居の形を推定する大事な証拠になりました。

見学案内

国道120号線から分かれて川場村方面にむかう道路(県道64号線)をしばらく進み、セノー工業株式会社入り口の看板を左折します。いちばんつきあたりのセノー工場敷地のなかが遺跡です。芝や樹が植えてある中庭には、まだ発掘していない住居が残っています。地面のくぼんだところには、深い竪穴住居がかくれているかもしれません。
遺跡周辺から発見された弥生土器が、川場村歴史民俗資料館に展示されています。

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は遺跡の位置を表しています。
ここがポイント

紀元3世紀にあたる弥生時代の終わりごろから古墳時代のはじめにかけての時期は、当時「倭(わ)」とよばれていた日本のなかで、各地に分立していたクニ同士が結びついたり、互いに争そったりして、やがてそれらがひとつにまとまっていくという大きな変化をみせた時代でした。高野原遺跡にもそんな激動の様子をかいま見ることができます。
ここに住んでいた人々は伝統的な弥生土器を使っていましたが、そのなかで遠く近畿地方や東海地方から伝わってきた土器にそっくり似せて作った土器が混ざっています。これは遠くの地域と急激に交流が始まった証拠で、前橋や高崎周辺にはこれらの地域から移住してきたとの説もあります。また、住居の平面形も伝統的な長方形と先進的な正方形の両方が見つかっていて、これも先進地域の影響だと考えられます。このように外来文化の強い影響を受けて人々の生活が変わっていく様子を、私達に語ってくれています。
ところで高野原遺跡では、発掘された住居7棟のうち6棟までが燃えて焼け落ちたことがわかっています。これは何を意味するのでしょうか。住居を捨てるときにわざと燃やしたのか、それとも思いがけない火事や戦乱によって焼かれてしまったのでしょうか。そしてこののち、この場所で住居は作られることがなくムラはどこかへ移動したか、あるいは絶滅したようです。同じような遺跡はこの時期によく見られます。その理由は、残念ながらまだ謎です。でもそれがこの激動の時代を解きあかす大きな「かぎ」のひとつであることはまちがいないでしょう。

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