歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内

北毛地区名胡桃城址-利根郡みなかみ町月夜野町 戦国時代-

名胡桃城は、利根川と赤谷川の合流点から南西に1kmほど下った、利根川右岸にある中世のお城です。標高およそ430m、高さ50mほどの崖の縁に築かれた城です。幕岩城や沼田城が利根川を挟んでおよそ4kmほどのところにあります。赤谷川の対岸、北に3kmほど離れた上毛高原駅付近にあった小川城と一組になっていたものと考えられています。
いまから490年ほど前、永正年間に沼田氏が築いたものと伝えられていましたが、城の構造や古文書の研究などから、420年ほど前の天正年間の中頃に、沼田周辺の拠点として築かれたものと考えられます。
大正13年には地元保存会がつくられて、城あとの保護活動が続けられ、本丸や物見台などが公園化され、保存されてきました。1981年に月夜野バイパス建設にともなって、馬出しの発掘調査が行われました。また、1992年からは月夜野町教育委員会によって、史跡保存のための発掘調査が継続的に行われました。こうした発掘調査によって、さまざまな施設で固く守られた城の姿が明らかになってきました。

見学案内

関越自動車道月夜野インターチェンジから、国道17号線月夜野バイパスを月夜野方向に1kmほど離れた道路沿いにあります。月夜野大橋を越え登坂車線が終了したらすぐ右手に説明板があります。
上越新幹線上毛高原駅から国道291号線を南下、上津大原の交差点を左折して月夜野バイパスを沼田方向に向かい1kmほどのところにあります。駅前から数えて二つ目の信号を右折したあたりが小川城です。

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は遺跡の位置を表しています。
ここがポイント

名胡桃城は関東と越後をつなぐ街道筋に位置し、越後勢の関東進出コースにあたります。また南西には赤根峠、千貫峠などがあり信州勢の進出コースにあたるなど、軍略上の重要地点です。こうした戦略ポイントに築かれたこの城は生活拠点防衛用の城ではなく、あくまでも作戦上の必要から維持される地域制圧用の拠点といえます。
天正8年(1580年)以来真田氏の支配下にあった沼田一帯は豊臣秀吉の和平工作により天正17年北条氏に譲り渡されました。利根川右岸の拠点である名胡桃城は真田氏の手に残されましたが、ここを北条勢が奪い取ったことをきっかけに秀吉による小田原攻めが始まり、北条一族は滅亡し秀吉の天下統一が実現されました。
城は利根川右岸の段丘崖と段丘を渓谷状に抉って流れる湯舟川に挟まれた突出部に設けられています。城のある段丘端を東西に区分する小さな谷の東に般若郭(はんにゃくるわ)、西に本丸や丸馬出しなどが空堀に区切られて配置されています。般若郭は周辺を堀と柵で囲み、その中に9棟の建物が建てられた居住空間であったことが確認されました。二郭(にのくるわ)・三郭(さんのくるわ)などから見つかった石垣や出撃通路の門跡、土塁の築かれ方から、現在の配置になるまでに改築工事があったことがうかがわれます。
攻防の中心となった馬出し堀から掘り出された鉄砲玉は、戦国時代の国内産の鉛が使われています。また銅合金の鉄砲玉も見つかっています。銅製の弾は軍事用にのみ使用されたもので、いずれも名胡桃城の争奪戦が繰り広げられた頃の遺品です。

もっと知りたい!

上毛高原駅近くの月夜野郷土歴史資料館に名胡桃城の模型(ジオラマ)があります。
戦国時代の用語については「グラフィック戦史シリーズ 戦略戦術兵器事典2 日本戦国編」(学習研究社)が参考になります。また名胡桃城の争奪戦については山崎一氏の「上毛古戦記」(あかぎ出版)に読みやすく書かれています。
1981年に行われた発掘調査の報告書は、調査地の地名から「城平遺跡、諏訪遺跡」として刊行されています。

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