歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内

北毛地区鎌原遺跡-吾妻郡嬬恋村鎌原 江戸時代・天明3年-

天明3年8月5日(新暦)、浅間山が大噴火を起こしました。3ヶ月にわたって続いた浅間山の噴火の中でも最も規模の大きな噴火でした。昼前の大噴火では土石なだれがおこって、ふもとにあった鎌原村をおそいました。村の高台にあった観音堂などに逃げることができ93人だけを残して、118戸570人の人々が暮らしていた村は家も、田畑も埋め尽くされてしまったのでした。
それから200年。
昭和54年に鎌原村の発掘調査が始まりました。13回にわたってすすめられた発掘調査によって、噴火の時に起こったことや当時のムラの姿がわかってきました。地元に伝えられてきた大噴火のものがたりが、目に見えるように掘り出されたのです
。 観音堂では、あと30数段の石段を登り切れば助かったはずの、2人の遺体が見つかりました。地下5mの石段の下に、折り重なってたおれていたのです。ほかにも、そのころの建物や生活の道具、仏像や仏具など、たくさんの遺物が見つかりました。みな、当時の人々の暮らしぶりを伝える、貴重な資料として注目されています。
鎌原遺跡は〈天明三年浅間やけ遺跡〉として、昭和31年に群馬県指定史跡に指定されています。

見学案内
電車
JR吾妻線万座鹿沢口駅から2km。バス、タクシーを利用して鎌原観音堂へ。

観音堂の石段から東側一帯が遺跡です。
調査された場所は埋め戻されていますが、調査地点を示す説明板や案内標柱が建てられています。観音堂の周辺には、土石なだれに埋まった石段や、33回忌にあたる文化12年に建てられた、噴火で亡くなった477名の戒名が刻まれた供養碑、延命寺の門石などがあります。近くには、観音堂にある門石の欠落部分が地元の道標の石となっているものや、飢饉に備えた江戸時代の穀物倉などもあります。

地図を表示
は遺跡の位置を表しています。
ここがポイント

イタリアに、ポンペイという遺跡があります。ベスビオ火山の噴火でふき出された軽石や火山灰に埋もれて、当時の姿をそっくり残していることで、世界的に有名な遺跡です。浅間山の噴火で発生した土石なだれに埋まって、これも当時の姿がはっきりわかるのが鎌原遺跡です。当時の文書や記録が残っていて、発掘された遺跡の様子と比べることもできます。鎌原遺跡が日本のポンペイと呼ばれるゆえんです。

もっと知りたい!

嬬恋郷土資料館では、発掘調査で見つかった出土品が展示されています。館長の松島榮治先生は発掘調査の担当をされていました。お会いすることができれば、詳しいお話を聞くことができるかもしれません。
嬬恋郷土資料館の展望台から浅間山をながめ、資料の展示を見てから、周辺を散策することをおすすめします。
また、次の資料は、郷土資料館や観音堂で購入することができます。
・『嬬恋・日本のポンペイ』1980 東京新聞 編集局 特別報道部
・『緑よみがえった鎌原』1982 清水寥人 あさを社
・『埋没村落鎌原村発掘調査概報』1994 嬬恋村教育委員会

前ページへ戻るページトップへ戻る