![]() 壺形土器(つぼがたどき) ![]() |
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底の直径が11.2cm、口は24.9cmと小さいが、、高さは83.7cmと大きな土器である。なだらかな曲線を持つ同のやや上部がもっとも太く、首はほぼ垂直に立ち上がって反りの少ない口にいたるスマートな土器である。 文様は、口の縁には粘土ひもを巡らせ、その上を指で押しつけて凹凸のアクセントをつけている。土器面全体にハケで整形した跡がつけられている。また、内面はヘラでよく磨かれており、堅く焼きしまった土器である。 壺形土器はふつう貯蔵用の土器と考えられるが、底が小さく安定が悪いこと、使用された痕跡がほとんど認められないことから、再葬墓専用に作られ、ただちに埋められたとも考えられる。 |
![]() 壺形土器(つぼがたどき) ![]() |
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5cmと小さな底、球形の胴、なだらかにつぼまるくび、そして大きく反り返る口と、女性的な曲線を持つ美しい形の壺形土器である。 文様は、口から胴の上部にかけて、櫛歯(くしは)状の工具による斜め方向の文様と、平行した横線が交互に三段にわたり施される。胴の下半分にはハケで整形した横方向の文様が付けられている。口の端はやや厚くし、二本の線を付けている。 胴にハケで描いた文様を施す土器は、東海地方の土器にそのルーツを見いだせ、そこより長野県を経て本県に伝わった。本県へ弥生文化が伝わった経路の一つを示すものであり、土器の文様はその背景にある文化の伝播経路を考える資料にもなる。 |
![]() 甕形土器(かめがたどき) ![]() |
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胴の下半分を欠くが、なだらかな胴と短いくび、外に開く口をもった土器である。 文様は口から胴の上部にかけて縄文を施し、くびの部分はいったん施した縄文を磨(す)り消している。胴の上部は縄文の上に、ヘラで二段の「三角形連繋文(れんけいもん)」を描いている。胴の下半分にはハケで文様を描いている。 この土器は、まず縄文を施し、その上に「三角形連繋文」を描くなど、縄文時代晩期の土器の特徴をよく残している。これに写真上の長野県から伝わったハケで整形する文様に特徴のある新しい土器が入り、それと融合した土器である。 これらの土器は、「岩櫃山(いわびつやま)式土器」と呼ばれ、北関東地方の弥生時代中期初頭を代表する土器型式となっている。 |
![]() 甕形土器(かめがたどき) ![]() |
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長い胴に短いくび、外に開く口。安定感のある土器である。 文様は粘土ひもで厚くした口の部分に縄文を施し、くびの下には二本の平行した太めの線を描いて、胴との区画をはっきりさせている。また胴の上部には縄文をつけ、その上に連続する錨(いかり)の形を線で描き、線の外の縄文を刷り消している。胴の下半分にはハケで整形した文様がある。 岩櫃山遺跡は、高山の岩陰に本葬した「再葬墓」である。このような高山に再葬する風習は、現在でも東南アジアの一部で行われている。部落を見下ろす先祖の精霊が、そこに暮らす人々を守ってくれるのだという。岩櫃山遺跡で、同じような風習が続いていたと考えられる。 |