古墳時代
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金銅製単龍環頭大刀(こんどうせいたんりゅうかんとうたち)
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.こんどうせいたんりゅうかんとうたち
■時 代
6世紀後半
■出土地
藤岡市皇子塚古墳
■寸 法
全長9.3cm 
■保管等
藤岡市教育委員会
 環頭大刀の柄頭(つかがしら)には龍や鳳凰(ほうおう)、獅子のような顔をした怪獣、三つ葉の文様など、いろいろな種類の装飾を施したものがある。日本では丸い環のなかに1匹の龍(単龍)か1羽の鳳凰(単鳳)を表現したものが数多く見られる。口先を上下に開くものが龍とされる。鳥の嘴(くちばし)のようにとがったものは鳳凰とされる。しかし、これらの大刀をつくった工人たちが龍と鳳凰をきちんと区別していたかどうかは疑わしいという。龍には舌を出したり、草をくわえたものもある。鳳凰の中には口に玉を含むものが見られる。
 皇子塚(おうじづか)古墳は平井地区1号古墳のすぐ隣につくられた円墳である。環頭の内側に横を向いた龍を表現した単龍環頭大刀の柄頭が発見された。その龍の顔はとても表情豊かである。目の上の長く伸びた角、頭の後方に突き出た耳、そして、なんといっても大きく開いた口の中に並ぶ歯が特徴的である。鋭くとがる牙(きば)も表現されており、一目で龍とわかる。(徳江秀夫)
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猿付き円筒埴輪(さるつきえんとうはにわ)
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.さるつきえんとうはにわ
■時 代
6世紀後半
■出土地
前橋市後二子古墳
■寸 法
高さ56p(復元高)
■保管等
前橋市教育委員会
 6世紀後半に造られた、全長85bの後二子(うしろふたご)古墳の墳丘から発見された円筒埴輪である。円筒埴輪の側面の最上段に子猿を背負った母猿が付いた状態で出土した。近くから犬も出土していた。基部を大きく欠いているが、出土状態から、下に犬が付けられていたことが推測される(埴輪の犬は推定の位置に付けたものである)。
 上の母猿は下で吠える犬を心配そうに見ているが、子猿は無邪気な顔をしている。「犬猿の仲」との関係は定かではないが、ユーモラスな像である。猿は尾を欠いた状態で長さ9cm、犬が12cm。
 猿を表現した埴輪は少なく、ほかに茨城県大日塚(だいにちづか)古墳に猿が存在するが、その背中にもはがれた痕跡(こんせき)が認められる。
 小像の付く円筒埴輪は、全国的にみても群馬県に事例が多く、近接する前橋市上縄引(かみなわひき)遺跡4号古墳で、円筒埴輪の口縁部に犬の像、前橋市舞台遺跡1号古墳で人・鳥・猪の像が見つかっている。(前原 豊) 
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家・器財形埴輪群(いえ・きざいはにわぐん)
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.いえ・きざいはにわぐん
■時 代
6世紀後半
■出土地
吉井町神保下條2号古墳
■寸 法
高さ1m(家)
■保管等
群馬県埋蔵文化財調査センター

 群馬県では、6世紀後半に埴輪樹立の最盛期を迎える。神保下條(じんぼしもじょう)2号古墳のように墳丘の直径が10mに満たない小型円墳の場合でも、多くの形象埴輪と円筒埴輪からなる充実した構成が、その盛況ぶりを示している。
  形象埴輪は大きく二種類に区分することが可能である。家・器財埴輪と人物・動物埴輪である。両者を立てる目的が異なっていたことは、その配置形態の差からも知ることができる。
 この家・器財埴輪は墳頂部から転落したことをうかがわせる状態で出土した。器財の種類としては、盾・大刀・靫(ゆぎ)・鞆(とも)があり、それぞれ5個以上が交互に、頂上の縁に取り囲むように立てられていたと推測される。家は頂上の中心寄りにあったと思われる。
 器財といってもその内容は武器武具に限られていることから、遺体の納まる石室を取り巻いてこれを守る役割を意図したことがわかる。家は、魂のよりしろとしての役割を持たせたものと思われる。

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人物・動物埴輪群(じんぶつ・どうぶつはにわぐん)
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.じんぶつ・どうぶつはにわぐん
■時 代
6世紀後半
■出土地
神保下條2号古墳
■寸 法
高さ85cm(左端)
■保管等
群馬県埋蔵文化財調査センター
 墳丘の直径が10m以下という、この時期の古墳としては最も小さい部類に属する円墳のすそ回りに、列をなして樹立されていた。写真は人物埴輪4体(男子2、女子2)と馬形埴輪2体であるが、本来は人物埴輪14体以上、馬形埴輪3体以上からなっていたことがわかっている。
 また、これとは別に墳丘の頂上部に家形埴輪1、器材埴輪20(盾5、大刀5、靱5、鞆5)が樹立されていたと推測される。
 この時期の群馬県では、埴輪の樹立が異常な発達を見せる。わかっているだけで1200基以上の古墳に樹立されていたことが知られている。神保下條2号古墳の埴輪はその最盛期に製作されたものである。人物埴輪の造形表現はシンプルそのものであるが、熟練した埴輪工人が、手慣れた腕で次々に見事な作品を作っていった様子がうかがわれる。
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振り分け髪の男子埴輪(ふりわけがみのだんしはにわ)
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.ふりわけがみのだんしはにわ
■時 代
6世紀後半
■出土地
吉井町神保下條2号古墳
■寸 法
高さ80.5cm
■保管等
群馬県埋蔵文化財調査センター
 上の写真のうち4体の人物埴輪右端のもの。古墳が造られたのは、観音山古墳とちょうど同じ時期である。墳丘や石室の規模、副葬品の内容は観音山古墳が格段に素晴らしい。しかし、墳頂部に家・器財埴輪、墳丘のまわりに人物・動物埴輪を樹立するという基本はまったく同一である。
  この男子埴輪を見ると半身像で、衣服の表現といえば、簡易な腰帯があり、上衣が裾広がりになっていることだけである。衣服の文様・合わせ目・縫い目などは一切省略されている。大刀は棒状の粘土が腰の部分に斜めに付いていることから、かろうじて刀と推測できる程度である。籠手(こて)・鞆(とも)などの付属具も見あたらない。この男子埴輪を性格づけるのは、振り分け髪と大刀だけということになる。きわめて簡略な表現である。
  この男子埴輪に対して観音山古墳出土の「振り分け髪の男子埴輪」は、高さが155cmあり造形も優れている。古墳に樹立される埴輪は、古墳の規模に応じて、質の部分で厳格な差を設けていたことがわかる。

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