古墳時代
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挂甲をつけた武人埴輪(けいこうをつけたぶじんはにわ)
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.けいこうをつけたぶじんはにわ
■時 代
6世紀中ごろ
■出土地
榛東村高塚古墳
■寸 法
高さ102.0cm
■保管等
群馬大学
  榛名山の東麓にある前方後円墳(墳丘長約60m)の、くびれ部寄りの基壇面から出土した。円形の台の上にのる全身像で、県内で出土しているこの種の武人埴輪としてはやや小振りである。身を固める防具は、挂甲に胄(かぶと)、籠手(こて)のみと軽装備で、他の武人埴輪に見られる肩甲(かたよろい)・足甲(あしよろい)・臑当(すねあて)などはつけていない。下は、ズボン状の褌(はかま)であり、細い線で蕨(わらび)手風の文様が刻まれ、赤く塗られている。胄は衝角付胄(しょうかくつきかぶと)という形式で、これに顔の側面を護る脇立が付けられている。「衝角」という名称は、本来軍用艦の艦首のとがった部分の呼びかたで、胄の先端の構造がこれに似ていることから、研究者によって命名された。甲胄の細部の表現を見ると、実際のそれとの間に開きのある簡略化されたものである。
 武人埴輪としての完成度は高いとは言えないが、胄の中からのぞく顔は、童顔でどことなく親しみを感じさせるものである。

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人物埴輪群(じんぶつはにわぐん)
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.じんぶつはにわぐん
■時 代
6世紀後半
■出土地
高崎市観音山古墳
■寸 法
高さ1.10m
■保管等
群馬県立歴史博物館
  高崎市東部、井野川の右岸に造られた観音山古墳(前方後円墳、墳丘長97m)は、巨大な横穴式石室から豪華で豊富な副葬品が出土したことで知られる。
 また、石室の開口する墳丘西側の基壇面上を中心に、充実した内容の埴輪が発見された。そのうち、石室入り口に向かって左側に配置されていた人物埴輪の一群は、とりわけ注目されるものであった。出土状態をもとに復元して並べたのが掲載した写真であり、ちょうど石室側から臨んだ格好になる。
  手前左側にいる男子と右側にいる女子は向かい合うように置かれていた。その奥にいる3人の子供のような女子が連座する埴輪と半身像の女子は、いずれも、さきの男女の向かい合う場に向けて置かれている。これら一群の埴輪は、特定の場面を構成するために、それぞれに意味ある役割を与えられたことを示唆している。その意味については、首長権の継承の場面、亡き首長の徳をたたえる場面などの解釈が出されている。
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三人童女(さんにんどうじょ)
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.さんにんどうじょ
■時 代
6世紀後半
■出土地
高崎市観音山古墳
■寸 法
高さ1.02m
■保管等
群馬県立歴史博物館
 上の人物埴輪群の埴輪。向かい合う高貴な男女のちょうど真横で、長い楕(だ)円形の敷物の上に、ほぼ同じ大きさの三人が並んでこちらを向いて座っている。この像を童女とみるのは、ほかの女子像との大きさの違いが根拠になっている。
 髪形・衣服・装身具などは他の巫女(みこ)を表す女子像となんら変わるところがない。両手を胸の前であわせ、指先はすべて、なにかをつま弾くようなめずらしいしぐさで折り曲げられている。両肩のところには横方向にひも状のものがあり中心部へと向かっている。3人が同じしぐさで、一つの円座に並んでいることから、同じ職掌を担っていたことは明らかである。
 このことから、3人はなんらかの楽器の弦をつま弾かせているのではないかとの解釈がある。亡き首長の葬儀に臨んで、悲しみの音色を奏でているのであろうか。通常の人物像のやや見開いたおとなしい目元と異なる切れ長の目は、泣いている表情とも言われている。
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皮袋を捧げ持つ女子埴輪品(かわぶくろをささげもつじょしはにわ)
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.かわぶくろをささげもつじょしはにわ
■時 代
6世紀後半
■出土地
高崎市観音山古墳
■寸 法
高さ1.10m
■保管等
群馬県立歴史博物館
  上の人物埴輪群の埴輪。台の上に座る高貴な女子の後ろに立つ半身の女子像である。
  髪の毛は、前と後ろから折り返したものを中央でひもで結んでいる。江戸・明治期の島田髷(まげ)によく似た結い方であることと、ぺしゃんこに近い形状であることから、「つぶし島田」と呼んでいる。古墳時代の成人女性の一般的な髪形であったようである。
 胸の前のところで合わされた手の間には、容器のようなものが持たれている。横長の口で、まんまるにならない袋のような形状をしていることから、土器でなく、皮袋ではないかと推定されている。  この女性の着ている衣装は、かなり簡易なものであることから、主人の身の回りの世話をする侍女のような人ではなかったかと推定されている。皮袋にはなんらかの食べ物が入っており、それを運び込もうとしているところであろう。
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挂甲をつけた武人埴輪(けいこうをつけたぶじんはにわ)
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.けいこうをつけたぶじんはにわ
■時 代
6世紀後半
■出土地
高崎市観音山古墳
■寸 法
高さ1.50m
■保管等
群馬県立歴史博物館
  人物埴輪としては、とにかく大きい。首長をとりまく、文武の家臣団を力強く表現しようとする意図が反映しているものであろう。
 この武人埴輪の装束は、胄(かぶと)は頂部に飾りのある鉢をのせ、前面には眉庇(まびさし)と呼ばれるつばが付く形式で、他にあまり例を見ない。大陸・半島にその系譜が十分推測される。上半身は挂甲で身を固め、下半身は太股(ふともも)から足の甲まで鉄小札(こざね)の表現が描かれていることから、これ以上ない完全武装であることがわかる。
 右手で左前に下げた大刀の柄(つか)を握っており、左手で弓を握っている。背中は欠けているが、おそらく矢を入れた靫(ゆぎ)が背負われていたことであろう。十分すぎる威嚇の表現である。
 観音山古墳の諸要素には、あらゆる意味で過度になるところにその特徴が見いだせそうである。この武人埴輪はそれを象徴する一つと言えよう。

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