古墳時代
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狩りの場面をあらわす埴輪群(かりのばめんをあらわすはにわぐん)
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.かりのばめんをあらわすはにわぐん
■時 代
5世紀後半
■出土地
群馬町保渡田VII遺跡
■寸 法
高さ49.5cm(猪)
■保管等
群馬町教育委員会
 保渡田Z遺跡の調査で、大量の形象埴輪が発見された。場所は井出二子山(いでふたごやま)古墳の西側に隣接している。溝に区画された不定型なかたちであるため、古墳であるのか、二子山古墳などに付属する施設であるのか、決定的な証拠にかける。少なくとも、区画内に人物・動物埴輪を中心とする埴輪群が意味ある配置で立てられていたことだけは明らかである。
 それらの中で、出土した位置関係を参考に部分的に配置復元に成功したのが、狩人・犬・猪(いのしし)の一群である。弓矢で獲物をねらう狩人とそれに付き従う猟犬、そしてねらわれる猪という構成である。猪の腰のところには当たった矢とそこからたれる血が表現されている。
 埴輪により狩りの場面を表している例は、この遺構に加えて、保渡田八幡塚古墳、剛志天神山(ごうしてんじんやま)古墳がある。狩りが単に野生の動物を捕獲するという行為にとどまるものではなく、首長の存在を誇示する象徴的行為として位置づけられていたことが推測されよう。
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腰に猪を吊す男子埴輪(こしにいのししをつるすだんしはにわ)
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.こしにいのししをつるすだんしはにわ
■時 代
5世紀後半
■出土地
群馬町保渡田VII遺跡
■寸 法
高さ54.5cm
■保管等
群馬町教育委員会
 上記写真左端の埴輪。狩人を表していると思われる男子上半身像である。頭が三角形にとがっているのは、髪の毛を上にまとめ上げ頭巾(ずきん)のようなものをかぶっているため。衣服の表現は、腰帯と上着の裾(すそ)広がりの表現のみで、簡易なものであることがわかる。つくりにやや稚拙さが感じられるが、人物埴輪出現期であることに由来するものであろう。むしろ、素朴さと生まじめさが同居する作風であり、どことなくユーモアがただよう。
  肩の高さのところで、右腕は胸側に水平に折り曲げ、左腕は左手方向に水平にのびる。肘(ひじ)から先が欠落しているが、明らかに弓矢を引いて、獲物に狙いを定めている動作である。
  背中を見ると、腰帯のところには手にはいるほどの大きさでかたどった猪が吊されている。狩人を象徴的に表すための付属物である。また、背中の中心には、貼りつけられていた縦長のものがはがれた痕跡が認められる。矢を収める靫(ゆぎ)が表現されていたものと思われる。
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冠をかぶるあぐらの男子埴輪(かんむりをかぶるあぐらのだんしはにわ)
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.かんむりをかぶるあぐらのだんしはにわ
■時 代
5世紀後半
■出土地
群馬町保渡田VII遺跡
■寸 法
高さ63.5cm(復元部分も含む)
■保管等
群馬町教育委員会
  円形でやや山形をなす台座の上に、右足を上にあぐらを組む男子像である。装着する衣装は上着とズボン状のものからなり、上下とも赤色顔料による斑点(はんてん)で文様を表している。粘土の造形による立体的な表現は、右側で結ばれた腰ひもとズボンの膨らみだけである。
  二山式(にざんしき)の冠をかぶり、左腰には大刀をつけている。左手は柄(つか)を握っていることから、今にも刀を抜かんとすることが推測される。大刀の握りの部分には、サーベルのような勾金(まがりがね)がついており、表面が玉で飾られている。儀礼的性格の強い大刀であることを示している。これらの表現から、この男子像が首長を表したものであることは明らかであろう。
  この遺跡の埴輪群の中には、この男子像とまったく同じつくりのものがもう1体出土している。首長を表す男子像が2体あるわけである。首長権の継承儀礼が行われる場面を再現するためのキャストであろう。
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馬形埴輪(うまがたはにわ)
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.うまがたはにわ
■時 代
5世紀後半
■出土地
群馬町保渡田VII遺跡
■寸 法
30cm(現存高)
■保管等
群馬町教育委員会
  馬形埴輪の首から頭部にかけてが残っている。
  われわれがよく目にするのは、関東地方の埴輪樹立が最盛期を向かえる6世紀の馬形埴輪である。本書でも伊勢崎市蛇塚古墳、吉井町神保下條2号古墳の馬が取り上げられている。これらの馬と本例を見比べたとき、両者の仕上がり具合の違いは歴然としている。一言でいうならば、蛇塚のそれは「埴輪馬」、保渡田のそれは「馬の埴輪」である。前者を製作した工人が、既存の馬形埴輪をモデルにしているのに対して、後者の工人は、実物の馬をイメージして、あるいは見ながら制作したものと想像される。
  血の通った馬形埴輪であり、ヒィヒィーンというなき声をあげて今にも駆け出しそうである。
  見事な出来栄えである。制作された時期的特徴もさることながら、個人的な造形力に負うところも大きいと言えよう。
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馬形埴輪(うまがたはにわ)
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.うまがたはにわ
■時 代
5世紀後半
■出土地
粕川村白藤古墳群V-4号古墳
■寸 法
高さ51cm
■保管等
粕川村教育委員会
  赤城山南麓の粕川村膳(かすかわむらぜん)地区で、5世紀後半から6世紀前半にかけて形成された35基の円墳(群集墳)が調査された。
  馬形埴輪の出土したV−4号墳は直径21.6mの規模で、埋葬施設は墳丘とともに平にされてしまっていた。
  愛らしく、どことなくユーモラスな馬である。それは顔を平板に作ったことにある。首から頭までを円筒形につくり、そこに直接顔面がかぶされた簡易な構造である。人物・動物埴輪の最も古い段階に属するため、製作技術もまだ手慣れていない。鞍(くら)・鐙(あぶみ)・轡(くつわ)などの馬具の表現がある。騎乗用の馬である。個々の馬具の表現は簡略であり、リアルな形状・装着方法でない点も目立つ。
  馬が群馬県に最初に入ってきたのもこれと前後するころだから、まだ本物の馬を見た人も少なかったはずである。この埴輪を製作した工人も、実際の馬をあまりよく観察する機会には恵まれなかったのだろうか。

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