古墳時代
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石製模造品(せきせいもぞうひん)
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せきせいもぞうひん.
■時 代
5世紀前半
■出土地
高崎市剣崎天神山古墳
■寸 法
高さ15.2cm(杵)
■保管等
群馬県立歴史博物館
 烏(からす)川と碓氷(うすい)川に挟まれた丘陵上にあった大型円墳(径30m)が、昭和38年に土取り工事で平らにされたとき、工事関係者がこれらの模造品を採集し保管していた。  発見されたのは、鏡2、坩(かん=小さな壺)1、槽(ふね)1、杵(きね)1、斧1、鎌1、刀子(とうす)71点の計78点であり、このほか琴柱(ことじ)形石製品1点がある。
 ところで、石製模造品は四世紀後半の時期、近畿地方を中心に有力古墳の副装品として登場する。その種類は、斧・鑿(のみ)・やりがんな・鎌などの農工具類と刀子に限定されていた。領域内の生産全体を首長が司ることを象徴的に表したものと考えられている。埋葬された首長の傍らに、木の枝からひもでつり下げられていたものと推測されている。
 天神山古墳の模造品は農工具類のほかに大ぶりの鏡・坩・槽・杵などの種類が加わり、近畿のものとは少し内容が異なる、その背景には、石製模造品の時期的変化が考えられると同時に、文化の受け入れ先の東国の地域性が表れたともとれる。 

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高床倉庫家形埴輪(たかゆかそうこいえがたはにわ)
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たかゆかそうこいえがたはにわ.
■時 代
5世紀前半
■出土地
藤岡市白石稲荷山古墳
■寸 法
高さ57.2cm
■保管等
東京国立博物館
 白石古墳群は群馬県で屈指の大型古墳群である。その先駆をなす前方後円墳(墳丘長約140m)の後円部墳頂で昭和8年に発見された。
 2階のように見えるが、実は高床式の倉庫である。一階部分の下はむき出しの2間2間の高い柱である。正面右端には入り口と思われる長方形のくり抜きが見られる。また、壁の部分は縦線を適当な間隔で引いて板壁を表している。床とそれを支える柱との間は床が張り出したように取り囲んでいるが、これは、穀物をネズミに食べられるのを防ぐ「ネズミ返し」の構造である。
 当時、高床倉庫と言えば収穫された稲を保管しておくための建物であった。これは、1軒1軒の家に備えられたものではなく、ムラさらにはクニを単位に帰属していた。言い換えれば、余剰の稲は支配者層の占有物であったわけである。高床式倉庫を埴輪でつくり、前方後円墳の墳頂部に置くことは、首長の権力掌握のシンボルを意味していた。
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甲胄形埴輪(かっちゅうがたはにわ)
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かっちゅうがたはにわ.
■時 代
5世紀前半
■出土地
藤岡市白石稲荷山古墳
■寸 法
高さ69.7cm
■保管等
東京国立博物館
 上の家形埴輪と同じく、後円部の墳頂から発見された。  4世紀から5世紀にかけての間に使用された甲(よろい)は、短甲(たんこう)という形式であり、ちょうど剣道の胴に似ている。実際には複数の鉄板をとじ合わせて作るのであるが、鉄板の形・大きさ、とじ合わせの方法に時期的な変化がある。基本的には時期が新しくなるほど鉄板が大型化し、構成する枚数が少なくなる。また、綴じる方法が革ひもから鉄鋲(リベット)に変わる。
 白石稲荷山(しらいしいなりやま)古墳の甲胄形埴輪は、三角形の鉄板を革ひもでとじ合わせた短甲をモデルにしている。線の交点にはりつけられている粒は、とじ目を表している。この短甲は5世紀前半を中心に流行した型式で、時期的にも合っている。短甲の下側に連なるスカート状の部分は草摺(くさずり)で、腰から太股の部分を保護する付属具である。
 甲胄形埴輪は武力の象徴として製作され配置された。寄り来る外敵から被葬者を守る役割を果たすためである。
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三角板革綴短甲(さんかくいたかわとじたんこう)
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さんかくいたかわとじたんこう.
■時 代
5世紀前半
■出土地
高崎市長瀞西古墳
■寸 法
高さ38.9cm
■保管等
東京国立博物館
 昭和7年、高崎市西方の碓氷川と烏川に挟まれた丘陵上にある大型円墳(径約30m)の周辺で、開墾が行われた際に偶然出土した。埋葬施設は河原石を使用した竪穴(たてあな)式石室と伝えられ、短甲のほか鏡・鉄鉾(てつぼこ)・鉄鏃(てつぞく)・石製模造品などが出土している。最近、金製垂飾付き耳飾りが発見された長瀞西(ながとろにし)古墳群は、この長瀞西古墳の築造を契機にして形成された。
 短甲の形式は、前述の短甲形埴輪と同じ三角板革綴式である。三角形の鉄板を左右に綴じ合わせて連ねたものを3段分つくり、それらを帯状の鉄板でつなぎ合わせて全体を形作る。とじ合わせの方法は、鉄板に小さな穴をあけ、なめした鹿革のひもを通してかがるようにしていく。
 一般的には、この短甲に首の部分を保護する頸甲(あかべよろい)と肩の部分を守る肩甲(かたよろい)の付属具と、頭にかぶる胄(かぶと)で一式となっている。しかし、これは短甲のみで出土した。
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金製垂飾付き耳飾り(きんせいすいしょくつきみみかざり)
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きんせいすいしょくつきみみかざり.
■時 代
5世紀中ごろ
■出土地
高崎市剣崎長瀞西遺跡10号古墳
■寸 法
長さ7.5p
■保管等
高崎市教育委員会
 剣崎長瀞西遺跡では古墳時代中期から後期の古墳が20数基見つかっている。
 古墳の形式としては円墳・方墳が確認されており、方墳の中には積み石塚古墳も認められている。これらの古墳の中で10号墳は南北8m・東西9mの方墳で、葺石(ふきいし)を伴うものである。すでに埋葬施設は破壊されていたものの、近くから朝鮮半島からの伝来品と考えられる金製垂飾付き耳飾りが発見された。
 この耳飾りの長さは約7.5cmで、重さ約2g、直径4mほどの中間飾りの空玉(うつろだま)3個を兵庫鎖(ひょうごぐさり)でつなぎ、下端部に長さ約1.9cm、幅1.2cmの宝珠形(ほうじゅがた)の平らな飾りが付いている。
 東日本で最初の発見例で、金色の落ち着いた光沢は、当時の輝きをそのまま伝えている。
 なお、この遺跡では金製耳飾りのほか、朝鮮半島系の土器や朝鮮半島製と考えられる国内では最古級の馬具なども発見されており、当時の朝鮮半島とのつながりをほうふつとさせる遺跡である。(神戸聖語)

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