古墳時代
.
.
.
トップページへ
.
.
.
銅鏃(どうぞく)
.
どうぞく.
■時 代
4世紀
■出土地
太田市頼母子古墳
■寸 法
長さ4.5cm〜5.7cm
■保管等
東京国立博物館
 戦前、調査によらず偶然に発見されたものであり、古墳の実態ははっきりしない。30本がまとまっていることから、矢を入れた靱(ゆぎ)に納められて副葬されたものであろう。
  青銅(銅と錫の合金)の鋳造品である。写真に掲載されているものだけでも、身の部分が柳葉形をなすものと、根元の部分がくり込むものの二種類があり、別の鋳型(いがた)で作っていることがわかる。保存状態がよく、当時の青銅の輝きをよく伝えている。この輝きは、支配下の人々にとっては見慣れないあやしい輝きであると同時に、なぜか引き込まれる美しさを放っており、儀礼的な役割をもった武器としての位置づけをよく示している。 古墳時代の銅鏃は、前期古墳に特徴的なものであり、鏡と同様、限られた有力古墳のみに認められる。群馬県の地域では、頼母子古墳以外では、前橋天神山(てんじんやま)古墳から三十本が出土している。やはり、ヤマト政権との緊密な政治的関係を有する首長に特別に与えられたものであろう。

.
器台形埴輪(きだいがたはにわ)
.
きだいがたはにわ.
■時 代
4世紀後半
■出土地
玉村町下郷天神塚古墳
■寸 法
高さ66.8p
■保管等
群馬県埋蔵文化財調査センター
 関越自動車道の建設に先立って、玉村町下郷で行われた発掘調査で、全長約80mの前方後円墳から出土した。
 器台の上にのせる壺と組み合わせて、葬送の儀礼用として遺骸(いがい)の傍らに供えるのがもともとの姿であり、弥生時代に吉備(岡山県)地方で始まった。古墳時代に入ると、近畿地方の政治勢力(大和政権)がこの方式を古墳の中に取り入れ、埴輪となった。
  天神塚古墳のころには、その役割はさらに変化し、聖域(主体部)を守り、画するものとして周囲に列を成すように置かれるようになった。口の部分が32cmであることから、相当の大きさの壷がのっていたのと思われる。
  器面の中央に線刻を施しているのは、外界の邪鬼を追い払う効果を狙ったものと思われる。  器台形埴輪は円筒埴輪の原形となるもので、古墳時代の前期に特徴的である。中期以降になると、筒状の円筒埴輪に完全にとって代わられる。
.
三角縁同向式四神四獣鏡(さんかくぶちどうこうしきししんしじゅうきょう)
.
さんかくぶちどうこうしきししんしじゅうきょう.
■時 代
4世紀
■出土地
高崎市蟹沢古墳
■寸 法
直径22.1cm
■保管等
東京国立博物館
 明治43年、高崎市東部の柴崎町にあった古墳から、地元の人達が偶然掘り出した。円墳で埋葬施設から鏡4、鉄斧(てっぷ)1、土師器(はじき)が出土したことを除くと、古墳の実体についてはほとんどわかっていない。
  ここから出土した鏡の中に二枚の三角縁神獣鏡がある。取り上げたのは同向式神獣鏡と呼ばれている。全国で数多く確認されている三角縁神獣鏡の中では、とりわけ資料的価値の高い。鏡に「□始元年」という年号銘が刻まれているからである。これは中国の三国時代の魏(ぎ)の年号、「正始」で、西暦の240年にあたる。
  三角縁神獣鏡については、中国の魏の鏡で、邪馬台国の女王卑弥呼(ひみこ)が魏の皇帝から下賜されたという説と、中国から同形式の鏡がまったく出土していないことから、中国の鏡をまねて日本でつくられたという説に大別される。魏の年号が記された蟹沢(かにざわ)古墳の鏡は、前者の説の大きなよりどころの一つとなっている。
.
三角縁竜虎画像鏡(さんかくぶちりゅうこがぞうきょう)
.
さんかくぶちりゅうこがぞうきょう.
■時 代
4世紀
■出土地
富岡市北山茶臼山古墳
■寸 法
直径24.9cm
■保管等
宮内庁
 古墳は直径約40mの円墳と推定され、富岡市の市街地と鏑川を挟んで南側の丘陵に位置している。明治27年に地元民により埋葬施設が発掘された際に発見されたものである。
  日本全国で数多く出土している三角縁神獣鏡の中では、最も鋳(い)上がり状態の良好で、鏡背に描かれた図像がくっきりしている。鈕(ちゅう)のまわりに巡る内区には、二対の竜と虎が配され、威厳に満ちた顔をのぞかせている。その外側には細身の画像文帯が巡る。図像の中で特に注意をひくのは、非常に細かいタッチ描かれた車馬の像である。これには、直接馬に人が騎乗している像と、馬車をひく馬の像がある。後者は幌(ほろ)付きの馬車で中に主人が乗り、御者(ぎょしゃ)が鞭(むち)を持ち、手綱を握っている様子までよくわかる。
  馬・馬車などには全く縁のなかった古墳時代の人々が、深い中国思想に基づいて描き出された鏡の文様を見た時、はたして何を思い、感じたのだろうか。
.
方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)
.
ほうかくきくきょう.
■時 代
4世紀前半
■出土地
富岡市北山茶臼山西古墳
■寸 法
直径15.9cm
■保管等
群馬県埋蔵文化財調査センター
 富岡市街地と鏑川を挟んで南方の丘陵上にある前方後方墳(墳丘長28m)が、上信越自動車道の道路下になるため昭和61年に発掘調査したところ、木棺を埋めたと思われる墓壙が発見され、遺体のかたわらに副葬されたと思われる銅鏡が出土した。
 この鏡は方格規矩鏡と呼ばれるもので、中国製の鏡をもとにして製作した日本製(●製鏡=ぼうせいきょう))である。鏡背の文様構成を見ると、中心の鈕のまわりを正方形の区画(方格)が取り囲み、その四方に「T」「L」「V」の字形と八個の乳(にゅう)を規則的に配置し、その間に鳥と獣を描き出している。
  この鏡には、もとの中国製の鏡の約束事が比較的よく残っている。鏡によっては、模倣のまた模倣のため、本来の図像とは似ても似つかないものに変わってしまう場合も多い。
  ●はにんべんに方

前のページへ
目次へ
次のページへ