飛鳥・奈良・平安時代
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土器群(どきぐん)
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■時 代 8世紀
■出土地 上野国分僧寺・尼寺
中間地域遺跡
■寸 法 高さ27.0p(中央の壺)
■保管等 群馬県埋蔵文化財査センター

 上野国分僧寺・尼寺中間地域遺跡で出土した土器群で、奈良時代初めころに日常生活の中で使われたものである。  
  赤色で軟質な焼きの土器を土師器、灰色で硬質に焼き上げた土器を須恵(すえ)器と呼ぶ。この2種類の土器の質感と色のコントラストは鮮やかで、奈良時代の人々もこの違いを強く意識していたはずである。  
  奈良時代は、古墳時代にくらべて土器の形や大きさが変化に富むようになった。土師(はじ)器と須恵器の坏や●は、食卓などの盛りつけ用として使われた。食物や水などを貯蔵するための壷は須恵器、煮炊きに用いた甕は土師器というように、目的に応じて使い分けがされたようだ。壷のなかには首の長い端正な形のものや、自然釉が厚くかかったものなどもみられる。  
  中央の大ぶりな土師器坏は、都で使うためにつくられたものが、はるばると運ばれてきたのであり、都の生活への強いあこがれがあらわれている。(桜岡正信)

●は土へんに宛 


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長頸壺(ちょうけいつぼ)
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ちょうけいつぼちょうけいつぼ
■時 代 8世紀末〜9世紀前半
■出土地 上野国分僧寺・尼寺
中間地域遺跡(右)
吉井町矢田遺跡(左)
■寸 法 高さ18.3p(右)、 13..2cm(左)
■保管等 群馬県埋蔵文化財査センター
 上野国分僧寺・尼寺中間地域遺跡出土の長頸壷(右)は、小さな糸切りの底をもち、細身の胴部と弓なりに長く伸びた首の部分に特徴がある。古いタイプは胴に張りのないものが多いが、本資料は肩に丸みがあり、胴にわずかに膨らみをもっていることから、新しいタイプである。  
  矢田遺跡の長頸壷(左)は、竪穴住居跡から出土したものである。貼り付けの高台が付き、張りのある丸い胴と上端が広がる口をもち、全体に自然釉がかかっていることが特徴である。自然釉とは窯のなかで燃えた木材の灰が土器の表面にかかり、それが溶けだしたものである。この長頸壺は釉の様子やつくりの良さから愛知県の猿投(さなげ)山のあたりでつくられたものが遠路運び込まれたものであろう。   どちらの壺も、奈良時代末期から平安時代初頭に使われた土器である。(桜岡正信)

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八稜鏡(はちりょうきょう)
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はちりょうきょう
■時 代 11世紀
■出土地 箕郷町下芝五反田遺跡
■寸 法 直径9.4p
■保管等 群馬県埋蔵文化財調査センター
 平安時代後半につくられた青銅製の鏡である。8枚の花弁をかたどった輪郭から八稜鏡と呼ばれており、中国の唐代の鏡を模倣して国内で鋳造されたものと考えられている。鏡の背面には、内側に二羽の鳥と、その間に花を描いており、そのモチーフから「瑞花双鳥(ずいかそうちょう)八稜鏡」と呼ばれている。  
  八稜鏡は、平安時代に都で貴族の化粧道具として用いられるだけでなく、山岳つまり高い山やそこにある池に奉納したり、仏像の体内に納めたり、寺院や仏閣の飾りや宗教的装飾としても用いられた。この鏡も出土状況や遺構の様子からお堂に納められたもので典型的な信仰的使われかたをしている。  
  鏡面には2体の仏像が繊細な毛彫りで描きだされており、美術史的にも貴重な資料である。向かって左側は阿弥陀如来像であるが、右側は錆のために分からない。このような鏡面に仏や神の姿を彫った鏡像は、平安時代におこった神仏習合思想を反映したものである。(桜岡正信)

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小金銅仏(しょうこんどうぶつ)
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しょうこんどうぶつしょうこんどうぶつ
■時 代 11世紀
■出土地 渋川市有馬条里遺跡
■寸 法 高さ6.5p(右)、6.0(左)
■保管等 群馬県埋蔵文化財調査センター
  右の立像は青銅製で、兜と鎧を身につけ下半身には裳(も)をまとい、両足には脚絆(きゃはん)をつけて沓(くつ)をはいている。右手を曲げて腰にあて、左手を下に伸ばした姿から、本来は左手に剣をもつ持国天像(じこくてん)と考えられる。本体と台座から柄までを型を組み合わせて一回の鋳造で仕上げている。全体に黒い光沢があり、鍍金の痕跡は残っていない。台座下の柄までの高さは6cmである。  
  左は、金銅製地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)で、上半身に偏衫(へんさん)と大衣をまとい、右の肩肌を脱ぎ下半身には裳をつけた姿である。曲げた左手と、下に伸ばした右手には持ち物の表現は見られないが、本来は左手に宝珠、右手に錫杖を持っていたものであろう。首や胸などに鍍金の痕跡があり、往時の輝きがしのばれる。二体ともその表現や製作技法から、11紀代の作とみられている。(桜岡正信)

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墨書土器、線刻紡錘車(ぼくしょどき、せんこくぼうすいしゃ)
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ぼくしょどきせんこくぼうすいしゃ
■時 代 奈良・平安時代
■出土地 前橋市二之宮洗橋遺跡
(墨書土器・左)
吉井町矢田遺跡
(線刻紡錘車・右)
■寸 法 高さ3.8cm(左)直径4.6cm(左)
■保管等 群馬県埋蔵文化財調査センター
  前橋市の二之宮洗橋(あらいばし)遺跡で出土した土器の内面には、はっきりした文字で「芳郷」と記されていた。これは古代の勢多郡にあった芳賀郷のことであり、一緒に出土した数点の土器にも書かれていることから、二之宮周辺がかつての芳賀郷の地であると考えられる重要な遺物となった。  
  また、吉井町の矢田遺跡で出土した紡錘車には細い毛彫りのような線で「八田郷」、くっきりと太く「物部郷長」などと書かれている。これらは、矢田遺跡が多胡郡の八田郷に含まれ、そこに物部を名乗る郷長が住んでいたことをあらわしている。  
  これらの出土文字資料は文献史料の少ない地方史にとって重要なものとなる。しかし、複数の文字が書かれた場合は意味を理解できるものもあるが、ほとんど一文字の場合が多く、その解釈を困難にしている。

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