飛鳥・奈良・平安時代
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文字瓦(もじがわら)
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もじがわら
■時 代 奈良・平安時代
■出土地 上野国分寺
■寸 法 文字部分19.2cm
■保管等 群馬県教育委員会
 上野国分寺の建立の際の事情を如実に語るものに文字瓦がある。創建期のものは勢多郡の「勢」や佐位郡・郷の「佐位」などの郡名や郷名を押印している。これは、各郡単位の負担によって国分寺の建立が進められたことを表している。  
  ところが、修造期になると個人名を記したものが多くなり、名の上に郷名を加えるものも認められる。その文字は、先の細いヘラなどの工具で書かれているが、見事な筆遣いのものもあれば、一字一字慎重に刻んだものもある。「山字物部□成」は勢いがあり、文字を書き慣れた人によって記されたようである。これは、多胡郡の山字(やまな)郷に住む物部某を表しており、瓦を寄進した人物であろう。このように、多胡郡の郷名と物部らの人名を書いた瓦が多く認められることから、多胡郡を中心とする地域の人々によって修造がおこなわれたことがわかり、国分寺を維持していくうえでの一つの側面を見ることができる。

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緑釉水注等(りょくゆうみずさしなど)
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りょくゆうみずさしなど
■時 代 10〜11世紀
■出土地 前橋市山王廃寺
■寸 法 高さ24.5cm(水注)
■保管等 群馬県立歴史博物館

  緑釉水注や緑釉●(わん)・皿などは、山王廃寺の塔心礎から南東約200mの場所で工事中に偶然発見された。これらの遺物は、その出土の状況から、地鎮祭に用いられた密教法具ではないかとみられている。  
  緑釉水注は発見時に把手(とって)や口、胴の一部が破損していたが、現在はその部分が復元されている。その形態と首にめぐらされた突帯から、金属器を模したものと考えられている。  
  緑釉陶器はいずれも轆轤(ろくろ)を用いて整形されており、底部は切り離しの後に回転ヘラなで調整をして、全面に釉を施している。水注と段皿2点は黄緑色で、●(わん)と2点の皿は濃い緑色である。  
  これらの緑釉陶器は東濃地方(美濃国)で、西暦1000年を前後する時期に生産されたものと考えられる。山王廃寺の終えん期にあたる平安時代の後半になっても、山王廃寺ではこのような優品を求めることができたのである。国指定重要文化財。

●はつちへんに宛


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線刻紡錘車、墨書土器(せんこくぼうすいしゃ、ぼくしょどき)
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ぼくしょどきせんこくぼうすいしゃ
■時 代 平安時代
■出土地 沼田市戸神諏訪U遺跡
■寸 法

直径4.9cm(紡錘車・右)
直径14.4cm(墨書土器・左)

■保管等 沼田市教育委員会
  紡錘車は糸を紡ぐ道具であるが、まれに文字などが書かれていることがある。戸神諏訪遺跡の仏堂とみられる建物跡の隣接地から出土した紡錘車には、寺院の金堂のように見える建物が線刻されていて、その棟には鴟尾(しび)が描かれている。全国でも寺院跡の発掘例は多いが、具体的な様子のわかる出土資料は少ない。  
  ここからは、「宮田寺」と書かれた墨書土器が多数出土していて、この寺の名を記したものではないかと考えられている。

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瓦塔(がとう)
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がとう
■時 代 奈良・平安時代
■出土地 前橋市上西原遺跡
■寸 法 高さ約35cm(初層)
■保管等 群馬県教育委員会
 上西原遺跡は前橋市東部の荒砥地区にあり、古代の勢多郡の役所跡と推定されている遺跡である。瓦塔は役所の中の寺院跡の部分にある基壇の周辺から出土した。同じ場所からは、塑像片も多数見つかっており、実際に大きな塔を建立する代わりに、この仏堂の中に瓦塔は置かれて礼拝されていたものであろう。  
  瓦塔は、赤褐色に焼かれたもので、同種のものは埼玉県北部から群馬県にかけて認められる。初層の各面には出入り口があり、観音開きとなる扉のほぞ穴も穿たれており、細部にわたって実物のミニチュアとなっている。  
  当時の建造物を目にすることができない現在、その一端を垣間見させてくれる貴重な資料である。

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緑釉陶器、灰釉陶器(りょくゆうとうき、かいゆうとうき)
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かいゆうとうきりょくゆうとうき

■時 代 10世紀
■出土地 前橋市清里長久保遺跡(緑釉)
高崎市中尾遺跡(灰釉)
■寸 法 高さ5.7p(緑釉・右)
高さ5.3p(灰釉・左)
■保管等 個人蔵

 前橋市の清里長久保遺跡出土の緑釉陶器の●(わん)と皿は、平安時代の墓に納められていたものである。どちらも、縁の部分が上から見たときに花びらの形をしていることから「輪花(りんか)」と呼ばれている。皿は口の部分が折れて段が付くことから、折縁(おりふち)皿という。2点とも器の表面を丁寧に磨いた上に、全体に鉛の釉薬がかけられ、きれいな光沢のある緑色に発色していることから緑釉陶器と呼ばれている。  
  高崎市の中尾遺跡から出土した灰釉陶器の●と皿は、平安時代の竪穴住居内で、一般的な生活に使われた食器である。灰釉とは藁灰や木灰から調合された釉薬で、高温で溶けるとわずかに緑がかったガラス質の光沢が出る。  
  これらの土器は浸け掛け(つけがけ)と呼ばれる技法で器の上半分にだけ釉薬をかけている。岐阜県の東美濃地方などでつくられ、遠路群馬の地にまで運ばれたものであるが、灰釉陶器にくらべて緑釉陶器の出土量は少なく、貴重品であったことがうかがえる。(桜岡正信)

●はつちへんに宛


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