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金井東裏(かないひがしうら)遺跡【金井バイパス建設事業関連】

平成28年9月
お墓に捧げた弥生土器か?
平成27年8月の「トピック遺跡紹介」で、渋川市金井東裏遺跡から出土した骨壺かと思われる弥生土器の壺を取上げました。今回は、同じ弥生時代中期前半の筒型土器(つつがたどき)と蓋(ふた)を紹介します。この弥生土器は、長方形の浅い穴(730号土坑)から写真1のように割れた状態で出土しました。復元した結果、3個体の筒型土器と蓋(ふた)あるいは鉢(はち)1個体とわかりました。また、割れた土器は一塊になっていて、その真ん中に簡単な刃部をもつ8cm大の剥片石器(はくへんせっき)がありました。
写真2の茶筒のように独特な形の筒型土器は、弥生時代中期に東北地方南部から関東地方にかけて普及しました。一見コップのようですが、炉内で火熱を受けた跡が残っているので、煮炊きに使ったと考えてよいでしょう。文様も独特で、十文字や四角文を迷路のように組み合わせたもの(写真右と左の土器)、船の碇(いかり)のような文様(写真中後ろの土器)を全体に描いています。写真2の中央下の蓋は、真ん中に円文、その周りにウインナーソーセージのような文様がちりばめられています。
これ以外に壺や甕(かめ)といった日常的な土器破片がないので、普通の生活廃棄物とは考えられません。むしろ何かの理由で、これらの土器が選ばれ、壊されたあげくに石器と一緒に埋められたのではないでしょうか。弥生時代前半期のこの地域では「再葬墓(さいそうぼ)」といわれる葬送の風習が行われたことがよく知られています。これは、骨だけになった遺体から一部の骨や歯を選んで骨壺に収めるのですが、想像をたくましくすれば、長方形の土坑は骨になるまで遺体を埋めた場所で、壺に収める歯や骨を取り上げるときに使われた石器や土器は役割を終えた道具として死者の魂とともに葬られたものなのかもしれません。この独特な形の筒型土器の役割を考えるうえでも、大変参考になる出土例だと思います。
写真1 弥生土器と石器の出土状況
写真2 筒型土器(つつがたどき)と蓋(ふた)